川本は、『昭和三〇年代は、戦後の戦争のなかで相対的に穏やかな時代だったのではないか。戦争直後の焼跡闇市的混乱は終わった。高度経済成長の喧騒はまだない。小春日和の穏やかさがあったのではないか』としている。川本は、昨今の『昭和三〇年代ブーム』は、かつては政治や経済などの大きな視点から時代を見ることが多かったが、冷戦構造の終焉によってイデオロギーの重しがとれたため、市井の人々の日常生活から時代を見ることができるようになったためだと述べている」

 同書は川本の「小春日和」論を様々な観点からむしろ批判的に検討している。そもそも昭和30年代が本当に「小春日和」であったかどうかについては、地域差も含めて、さまざまな批判がある。しかし、この「小春日和」論は、『となりのトトロ』が「テレビ普及前の時代」を選んだことと深いところで結びついているのではないだろうか。

「懐かしさから作った作品ではない」とトトロを評した宮崎駿

 そもそも、宮崎は『となりのトトロ』について「懐かしさから作った作品ではない」と語っている。

 宮崎は例えば記者会見で「今まで外国とか国籍不明の架空の国を舞台にした作品をずっと作りつづけてきて、だんだん自分の生まれ育った“日本”という国に借金がたまっていく気がしました」と語っている。

 
 

 また「あとからつけた理屈」といいながら「日本っていう国家は今も好きじゃないですけども、日本の風土も嫌いで困っていた子供時代の、僕に、こういうとこがあるんだよ、こういう見方をすりゃいいんだよっていうふうなね、そうやって観せられる映画があったらよかったのにと思いましたから」(『風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡』文春ジブリ文庫)とも話している。

 単なる貧しい田舎の風景にしか見えなかったものを魅力的な日本の風土であると再発見すること。この再発見をいつの時代においてすべきか。そこにふさわしい時代として選ばれたのが、日本が政治的にも経済的にも狂乱していない(と思われがちな)「小春日和」の時代であった。「懐かしさで作ったわけではない」という言葉を手がかりに考えていくと、そういうふうに解釈することはできる。

2022.08.25(木)
文=藤津 亮太