こうして、引っ越してきた家を「手」で確認したように、メイはその触覚でトトロを認識していく。こうして観客は触覚のリアリティの先にトトロの実在を身体的に実感するのである。

 そして、この時メイが、叫び声ともあくびともつかない声を聞いて「トトロ」と命名するのも、本作らしい聴覚の使い方といえる。

 
 

 触覚が中心のメイとトトロの出会いに対し、サツキとトトロの出会いは聴覚が大きな働きをする。

 大学からの帰りが遅い父を迎えに、雨の中、バス停まで出向いたサツキとメイ。しかし父はなかなか帰ってこず、日はやがて暮れていく。疲れて眠くなったメイをおんぶするサツキ。そこにひたひたという足音が聞こえてくる。トトロがやってきたのだ。

 この時、トトロは頭の上に葉っぱを乗せ、そこから滴る水滴が鼻の頭で雨音を立てている。サツキがトトロに傘を貸してあげると、トトロは傘に落ちる雨だれの音に喜びの表情を見せる。

 

 そしてジャンプしてドシンと地面を揺らし、木々の葉から雨粒を一気に落とすと、傘を豪快に鳴らす(宮崎はインタビューでトトロはこの傘を楽器だと思っている、と説明している)。

 ここでは傘を鳴らす雨だれの音という日常的な音を通じて、逆に「ありえないものの実在感」が立ち上がってくる。ここでも聴覚がすこし普通ではない世界の入り口を開いているのだ。

 このように(視覚的な愛嬌はもちろんのこと)触覚と聴覚を通じて実在感を喚起することで、トトロは観客の心の中に実在のものとして住み始めるのだ。

 
 

リテイクされた映画のキャッチコピー。もともとは…

 本作のキャッチコピーは、コピーライターの糸井重里が手掛けた。糸井が最初に書いた『となりのトトロ』のキャッチコピーは「このへんないきものは、もう日本にいないのです。たぶん。」だった。しかし、これはリテイクすることになった。糸井はこう語る。

「現実には、もういないんじゃないかと、ぼくなんかは思うわけです。ただ宮崎さんが『そうかもしれないけれど、いると思って作りたい』とおっしゃって、確かにそう思っていないと映画は作れないと思ったんですよね。(中略)でもやっぱり『たぶん』はつけざるをえないんですね」(「アニメージュ」1988年5月号)

2022.08.25(木)
文=藤津 亮太