もう一つ常に意識していることがある。フォトグラファーの仕事は一種のサービス業というものだ。これもまた不思議に思われるかもしれないが、明確な理由がある。誰もが気分よく写真を撮られたい、と願っているからだ。苦痛を感じながら撮られたいと思っている人はいない。

 だから時々、美容師とフォトグラファーは似ていると思うことがある。美容師もサービス業ではない。技術職だ。ただ、サービス業の要素がかなり含まれている。美容院で髪を切ってもらうとき、人はそこに何を求めているのだろうか。どこの街のなんという美容院で切るのか、誰に切ってもらうか、といった選択が重要だろう。東京でいえば原宿、表参道や青山に美容院が多いのはうなずける。その近所に住んでいる人だけが切りに来るわけではない。多くはわざわざ出かけて切りにいくのだ。非日常、あるいはスペシャル感を味わいたいのだ。そのことに意味がある。物理的に髪を切る行為だけではおさまらない。

他の職業に置き換えて考えてみる

 美容師の側に立って考えてみると、重要なのは次回もまた来店してもらえるかどうかだろう。リピートされることが美容師にもフォトグラファーにも求められる。そうでなければ、あっという間に失業してしまう。

 リピートしてもらうためには、望み通りの髪型に切れる技術力は当然のこととして、重要なのは代金を払い、お店を出た瞬間にどんな気持ちになってもらえるかではないだろうか。気持ちの部分がとても大きいはずだ。店を出たとき、切る前と何かが変わって感じられることが大切だ。

 例えば気持ちがリセットされた、いまから何かいいことが始まりそう。そんなふうに感じてもらえるとしたら、きっと次回も予約を入れてくれるだろう。そこまで含めて美容師の腕といえるのではないか。極端な例だが、誤って耳をハサミで切ってしまったら、二度とそのお店には行かないだろう。

 そのために必要なことは、と考えたら自然とすべきことは見えてくる。気持ちよくシャンプーをしてもらい、髪を切ってもらっているあいだは適度な会話を楽しむ(ちなみに私は苦手だが)ことだったり、店内の雰囲気、流れている音楽、助手を含めたスタッフの動きといったものの積み重ねだろう。つまり、髪を切る行為+空間+時間ということになる。簡単なことではない。別のたとえではカウンターの向こうの寿司職人というのもある。とにかく私は他の職業に置き換えて考えてみる。すると自分が職業上で求められていることが客観的に見えてくるからだ。

〈実例写真あり〉女優・鶴田真由の撮影で写真家が実践した“思っていた以上の写真”を撮る方法 へ続く

2022.06.12(日)
文=小林紀晴