まだ誰も撮ったことのない表情を
俳優やタレントとの話題は気をつけるべき点がいくつかある。特に家族などの話題はNGの場合がかなり多い。以前、ある女優を撮影しているとき、女優側からお子さんの話題が出て、さらに「男の子なんです」と言うので、その流れで「お名前なんていうんですか?」と訊ねたら、いきなり沈黙になってしまった。すぐに公表しないことにしているのだと察したが、冷や汗が流れた。その後は当然のように、雰囲気が極端に悪くなってしまった。これは、まさに地雷を踏んでしまった例といえるだろう。
実はこの「コーヒー作戦」あるいは「おでん作戦」の技(「技」といっていいものか迷うところだが)を編み出すまでに長い時間がかかった。40歳を過ぎた頃に初めて確立できた。20代の頃は目の前の方がテレビで見たことがあるというだけで、カメラを持つ手が冗談みたいに震えた。緊張し過ぎて頭が真っ白になり、フィルム一本まるまる露出を合わせないまま撮ってしまったこともある。その方を時折テレビでお見かけすると、いまでもあのときの自分の焦りを鮮明に思い出す。
でも慣れというものは確かにあって、あるときからそんなことはなくなった。逆にアドレナリンが頻出する場面が増えてきた。それは一種の快感といってもいいし、闘志が燃えるといってもいいかもしれない。目の前の方が有名だったり、大物だったりすると、まだ誰も撮ったことのない表情を自分が初めて撮るのだ、というより強い気持ちを抱くようになった。
40を過ぎたら、今まで聞けなかったことが聞けるように
実際に撮り出すと、時間の感覚が消える。撮影を終えたとき、10分間の撮影時間だったのか、あるいは30分間くらい経過したのかまるでわからない。それだけ集中しているということだろう。
40歳を過ぎてからこの技を確立したというのは、それまでの経験ももちろんあるが、世の中でいう「おじさん」の部類に自分が入ってきたことが何より大きい。一種の「開き直り」ができるようになったのだ。何よりポートレート撮影はどれほど短い時間であっても、一対一の関係になる。通常の人間関係でも初対面では性別、年齢(自分より年上か年下なのか含め)、立場などが重要なのと同じだ。このことは絶対に無視できない。
2022.06.12(日)
文=小林紀晴