若い頃、撮影中に自分からは絶対に聞けないことがあった。それは「最近聞いてる音楽ってなんですか?」といったものだ。無難な話題としてとても適していることはわかっていたが、絶対に聞けなかった。自分がまったく音楽の流行に詳しくなく、コンプレックスさえ抱いていたからだ。それが40を過ぎたら、若い方に対して平気で聞けるようになった。

 聞いたところで、私が知っている曲名が返ってくることはまずない。そのことは織り込み済みだ。

どんなに年齢が離れた年下でも、常に敬語で接する

「最近、どんな音楽聞いているんですか?」

「○○○○○というグループです」

「……ごめん、おじさんだから、若い人の流行りはわからなくて……」

 すると目の前の若者は苦笑いする。

「それって、どんなグループですか? K‐POPとか……」

 わからないまま会話を続けることはできる。やはり、おじさんだからだ。これで相手の緊張がとける。ジェネレーションギャップを味方につけられる。ここでもまた空回りしていることが何より重要だ。

 自分が若い頃は「知らない=流行に疎い=センスが悪い=いい写真が撮れない」と思われるのが怖かった。そんな連鎖が抑えられなかった。これもまた、過剰な自意識の表れだろう。40を過ぎて、それから解放された。

 私が恥ずかしい存在になって空回りすると、撮られる側は楽になる。するといい表情を必ず引き出すことができる。私はそう信じているし、実感している。もちろん目の前の相手を尊重する気持ちが大切だ。撮っているのではなく、撮らせていただく。だから、私はどんなに年齢が離れた年下でも、常に敬語で接することにしている。それらを疎かにするとあっという間に足をすくわれる。

 

美容師とフォトグラファーは似ている

 一方で、高校生くらいの若者を撮ることの方がずっと難しいと思うことがある。彼らは大人を冷静に観察している。もちろん、場合と個人差はあるが彼らは愛想笑いをしてくれない。自意識が高い世代でもある。さきほどの「コーヒー作戦」も「おでん作戦」も通用しない。彼らはコンビニでコーヒーやおでんをあまり買わない。だからこそ技量が問われる。

2022.06.12(日)
文=小林紀晴