でもchee’sはバンドで、私はドラムを叩きながら歌っていたので、曲もロックだったりして、どっちも納得いくまでできていないという感じで、不満だったんです。メンバーも他にそれぞれやりたいことがあったので、最終的にマネージャーさんも、じゃあ解散しましょうとなりました。
ギッシリ埋まっていたスケジュールが真っ白に
――そこから仕事の環境は変わりましたか?
藤岡 それまで毎日のようにバンドの練習や取材、撮影、レコーディングなどで、ギッシリ埋まっていたスケジュールが、突然、全部真っ白になりました。チェキッ娘のときもchee'sのときも、毎日お仕事があるのが当たり前だったのに、それを自分で壊してしまった。それでも、やっぱり音楽をやりたくて、デモテープを作り始めたんですけど、なかなか曲をリリースするところまで辿り着けなくて。
2年間ぐらいは水面から顔だけを出して、溺れまいと必死にもがくような感覚で、どんどん苦しくなっていきました。天国から地獄に落ちたような感覚で。それまではアイドルだったので、今度はソロのアーティストとしてやっていくためにイメージをガラッと変えてみよう、と提案をいただいたりしたんですが、そこで私が一生懸命になっていたのは「自分じゃない誰かになる」みたいなことで……。今思うと、それは辛かったなぁと。
――自分じゃない誰かになる?
藤岡 誰かから「この人みたいになれ」と言われたわけではないんですが、その時の自分では上手くいかなかったので、自分を変えなきゃいけない、私じゃない人にならなきゃいけないという方向に、自分の中で勝手に……。
でも、実はこの感覚、たぶん3歳くらいのときから私の中では始まっているんです。
――そう思うようになった、原体験みたいなものがあるんでしょうか。
ある日突然、声が出なくなってしまった
藤岡 3歳の時、バスに乗っていたら、年配の女性の方たちが私の方を見て「かわいい!!」って言ってくれたんです。ちょうど私は七五三で、赤い着物を着ていたので、てっきり自分が「かわいい」って言ってもらえたんだと思いました。でも、実は私じゃなくて、隣にいた兄のことを「かわいい」って言っていたんです。
2022.06.01(水)
文=松永 怜
撮影=釜谷洋史/文藝春秋