10年後に起きた“意外な再会”

――そうした経験の中で、「さすがにこれは怖いな」と思うことはなかったですか?

藤岡 うーん、怖いと思ったことはなかったかもしれないです。他にも、朝学校に行くときに駅の改札とか、学校の近くで立っている人もいたんですが、みなさんグループではなくて、個々なんです。一人一人、それぞれのスポットにいて。そこで「おはようございます!」「お疲れ様です!」って挨拶して。

――あちらが?

藤岡 いや、こっちがです(笑)。あまりに頻繫に会うし、向こうも気さくに「麻美~!」って言って下さるので、私も条件反射で「あ、どうも!」って返すようになって。話しかけられると邪険にできない性格というか、会話くらいならって思ったのかな……。

――それは、高校を卒業するまで続いたんですか? 

藤岡 そうですね。卒業してからは、そういうことはなくなりました。ただ、それから10年くらい経った頃かな。中野でコンサートを観に行った帰りに信号待ちをしていたら、目の前に停まったタクシーの運転席に、あの100本のバラの方が座ってたんです。

 それで私、思わず大きな声で「お久しぶりです!」って言っちゃって(笑)。そしたら「麻美ちゃん、覚えててくれたの~?」って言いながら、信号が変わると、ブゥーンって去ってしまいました。

――そんな再会劇が……。改めて芸能活動のお話に戻りますと、デビューから1年後、番組終了とともにチェキッ娘も解散。その後、藤岡さんはグループ内ユニットであるchee’sのメンバーとして活動を続けられます。ただ、このchee’sも2年ほどで解散してしまいますよね。

 

藤岡 それは後悔していることの一つで……。それまでの私はポンポンって、あまりにスムーズに事が運んでしまっていたんです。チェキッ娘やchee’sとして活動できる場があるなんて、こんなにありがたいことはなかったのに、あの頃はそれが理解できなかった。今だったら手放すべきじゃないって分かるんですけど、当時は歌に集中したい、シンガーソングライターとしてソロでバラードを歌いたいと思っていたんです。

2022.06.01(水)
文=松永 怜
撮影=釜谷洋史/文藝春秋