あえてこのテーマを描く以上避けられるはずがない、と誰もが思う問題を、朝ドラは何度も迂回してきた。それは脚本家の問題というよりは、連続テレビ小説という枠組みが持つ自主規制なのかもしれない。
描くとしてどう描くべきか、どこまで描くべきか、そしてそれを本当に視聴者が受け入れてくれるのか、ということについても考える。
東日本大震災から10年、真正面から被災地を舞台にした『おかえりモネ』でさえ、ストーリーの佳境で東北で災害を経験した少年少女たちの苦悩が描かれ、そしてそのやり場のない感情が災害を経験せずに東京でキャリアを積んだ主人公の百音に向けられると、SNSではまるでそれがただの姉妹喧嘩や色恋沙汰であるかのように「言い過ぎ、わがまま」「好きになれない」「主人公に依存している」という批判が溢れた。
「社会問題を描かない朝ドラ」と揶揄する一方で、実際に描けば反発が起き、あるいは「10描くべきなのに8しか描けていない」というさらなる批判が出る。
『ちゅらさん』で愛された「なんくるないさ」の本当の意味
5月8日の日曜日、今後『ちむどんどん』の舞台となる横浜・鶴見の沖縄タウンを訪れた。鶴見沖縄県人会会館の建物の1階にある沖縄の名品を売る店と、沖縄ソーキそばの店がにぎわっている。観光客向けに店が立ち並ぶ、沖縄一色の商店街ではない。昭和の時代に沖縄出身の労働者たちが集い住み、そこから自然に沖縄のアイデンティティを持つようになった静かな街だ。
だが、電信柱にはひとつずつ、「ハイサイ!ちむどんどんするまち 横浜鶴見」というプレートがつけられ、ガードレールには「ちむどんどんの舞台 横浜鶴見へようこそ」というのぼりが立つ。
多くの人が知るように、連続テレビ小説には「地域おこし」の側面がある。『なつぞら』であれば北海道十勝。『あまちゃん』なら岩手県。単にモデルになったというだけではなく、ファンの「聖地巡礼」を呼び、お金を落とす経済効果が期待されるのだ。
2022.05.26(木)
文=CDB