作り手がただ明るく楽しい沖縄コメディを作りたいだけなのであれば、そもそも沖縄の本土復帰という最も政治的な時代と、横浜・鶴見という、戦前から多くのマイノリティが暮らした歴史を持つ街を舞台に選んだりはしない。

 脚本に歴史への意識がないなら、第二話で、民俗学者の青柳に「今でも申し訳なく思っています。生き残ってしまったことを」と言わせ、中国大陸に従軍した父親に「自分も生きている限り、謝り続けなければならないと思っています」と、戦争の深い暗闇を感じさせる言葉を吐かせたりはしない。だが、今の時点でそれは表に出てはいない。中国で何を経験したのか詳細に語らぬまま、父親は6話でこの世を去り、物語は進む。

 朝ドラの歴史はある意味においては、脚本家たちの断念と無念の歴史でもあるのかもしれない。テーマを貫くことができた幸運なひと握りの作品を除いて、多くの脚本家が涙を飲んでテーマを迂回してきたのだろう。それを腰砕け、と揶揄することは僕にはできない。

 批判と社会運動を嫌う現代の日本の風潮の中で、昭和の沖縄出身者に対する差別を真正面から描くことが、東京で活動する沖縄出身の若い俳優たちに重くのしかかることは想像できる。あるいは人気も、作品評価も振るわないまま、とにかく炎上だけは避けたいとひたすら安全運転に徹するかも知れない。朝ドラという場所では、その安全運転さえも簡単ではないのだが。

 

 それでも、膨大に残される「描けなかったこと」の中で、朝ドラの作り手たちはこれまで一作品にひとつ、これだけは残したいというものを描き残してきたと思う。

『なつぞら』であれば、貫地谷しほり演じるマコさんのアニメスタジオ設立。『おかえりモネ』であれば、被災者である亮の「ごめん、綺麗事にしか聞こえないわ」という突き刺すような一言。そうした無念と断念の山の中で報いた一矢、一太刀の台詞のメッセージが朝ドラの歴史を作ってきたと言える。

『ちむどんどん』13日の放送では、ヒロイン・暢子に想いを寄せる正男が高校卒業後、ブラジルに旅立つことが明かされる。横浜鶴見の沖縄タウンは、沖縄からブラジルを経由して日本に戻った人々の街でもある。僕が訪れた鶴見・仲通の掲示板には『ちむどんどん!鶴見・沖縄・南米の繋がりを知ろう』という催しの知らせも貼ってあった。

2022.05.26(木)
文=CDB