その後は休みが全くないほど忙しくなって、世間にはショートのイメージがつきすぎるほどつきました。

――当時は「不思議ちゃん」的な取り上げ方もされていました。

蘭々 不思議ちゃん(笑)。言われてましたよね、たぶん……えっと、当時はSNSもないし、自分に対しての他人の評価がダイレクトに届かない時代だったので、あんまり気にしたことはなかったです。 

 でも、今YouTubeなんかで過去の自分を見ると「不思議が過ぎる‼︎」って画面に向かって言いたくなるくらい、不思議キャラです!   よくもこんなのをビジネスパートナーにしようと思ったよな、みんな、って思います。むしろみんなの感性のほうが不思議です。 

――ですが、お話を伺っていると、蘭々さんの強烈な個性で物事が動いていったように思えます。 

蘭々 いまも当時の社長と時々会うんですけど、この前「おまえは、なんだかんだいって勝手に売れていったぞ」って言ってました。でも、私はスタッフの方々がすっごい頑張ってくれたからだとずっと思っていて、いまも感謝してます。

――この頃はまだ、歌というよりも、バラドルのイメージが強かったですよね。 

蘭々 一応歌がやりたい、というのが第一希望ではありましたけど、社長と二人三脚でやるにあたり「まずは、なんでもやろう」という約束をしました。なんでもやっていかないと、やりたいことができないから。 

「変な仕事は絶対にやらせないし、蘭々のマイナスになるようなことはしない」と言うので「わかった」と私も答えてスタートしたんです。 

 その後バラエティーなどで知名度が上がってからやっと「泣かないぞェ」で歌手デビューすることになりました。 

写真=松本輝一/文藝春秋

デビュー曲「泣かないぞェ」では「世の中すべてみんな 全部ウソツキ」と…鈴木蘭々(46)が振り返る、“20代の自分が達観しすぎていたワケ” へ続く

2022.05.18(水)
文=平田裕介