原作は森鷗外 当時の空気を令和に甦らせて

 この作品が初演されたのは敗戦の記憶もリアルな1951年、昭和26年のことでした。宇野信夫作・演出によるこの作品の原作は森鷗外の短編小説なのですが、小説には舞台上に表出しているほどの細かな具体的記述はなく展開の時系列も異なります。夫婦それぞれの身に起こった事実が、医師でもあった鷗外の近代的知性が垣間見える描写で簡潔に綴られていて、隅々まで味わうには読者の知識と想像力に委ねられる部分が大きいようです。

 作品が発表されたのは1915年、江戸時代の暮らしを知る人も元武家屋敷も現実に存在していた大正初期です。作中には当時の東京を起点においての記述もあり、現実の風景や空気感から物語世界を紐解くこともできたことでしょう。けれど、2022年という令和の日常に身を投じながら共感ポイントを見出すにはもう少し手助けが必要かもしれません。

 歌舞伎の舞台では、時系列を編年体に整理してアレンジを加え、江戸の桜や京都の夏、近くの屋敷から聞こえてくる琴の音色など目や耳にダイレクトに届く風情を楽しみながら当時の様子を感じることができるようになっています。

 そして何より伊織やるん、さらに夫婦を取り巻く人々が生身の人間として目の前に立ち現れます。そこには人間の対話があり、彼らが発する言葉が臨場感をもって立ち上がり、ふとした瞬間の感情やそのほころびを観客は如実に感じ取ることができるのです。

2022.04.16(土)
文=清水まり