穏やかで優しい時間に浸れる名作
春になれば花が咲く小さな庭のある我が家で、大切な人と暮らす平穏な日常がどれほど幸せで尊いものかを実感させられる昨今、ぜひご覧いただきたいのが歌舞伎座「四月大歌舞伎」第三部で上演中の『ぢいさんばあさん』です。
これは仲睦まじい夫婦に起こった37年にわたる物語なのですが、舞台上に現出するのは3場面のみです。最初は夫が単身赴任先の京都へ経つ前日の我が家、次は三か月後の京都、そして37年を経た江戸の屋敷です。
旗本である夫の名は美濃部伊織、妻はるん。江戸で暮らすふたりにはその年のお正月に生まれた男の子がいます。実は元々京都へ転勤する予定だったのは、るんの弟・久右衛門だったのですが、久右衛門が短慮から喧嘩沙汰を起こして負傷してしまい、代わりに伊織がその任務に就くことになったのです。出発前日、庭に植えられた桜の若木はまだ蕾が固く、夫婦揃って満開を愛でることはできませんでしたが、一年の任期が過ぎればこの家で共に春を迎えられるはずでした。
思いがけないことが起こるのは夏の京都、風物詩となっている鴨川の納涼床でのことです。伊織はかねてから欲していた名刀を手に入れ、それを友人に披露するための宴を催すのですが、そこでとんでもない事件が起こってしまうのです。結果、伊織はお預けの身に……。
事件後のふたりがいかなる人生を送ったかが明らかになるのは37年後の再会の場面。“共白髪”となったふたりの、時に微笑ましくもあるしみじみとした話しぶりや一挙手一投足に、互いを思うあう心とそれぞれが過ごした長の歳月が浮かび上がり、穏やかで優しい時間が劇場内にひたひたと浸透していきます。
2022.04.16(土)
文=清水まり