世間での評価とか業績だとか収入だとかそういうものにいちどもまれてしまった人間が、命が本来的に求めているものに気づくのは、なかなか大変なんですよ。優秀なサラリーマンになるためみたいな理屈で教育とかが動いていて、そのなかで競争させられてきて、そこでいろんな価値観を身につけてしまうわけでしょ。それ以外にもその時代時代のイデオロギーみたいなものもあるでしょ。そういうのが私たちの中にこびりついている。
そういうのをちょっとずつ取り払っていけば、本当に私の命が喜んでいると実感できるようになる。そのとき、森の命の喜びとも響き合うような感覚がある。そういうところまでいけると、持続可能性というキーワードにも実感がともなってくると思います。
外なる自然と内なる自然を出会わせる
「ある問題を引き起こしたのと同じマインドセットではその問題を解決することはできない」とアインシュタインは言いました。つまり、近代合理主義的考え方が招いた問題に対処するには、その考え方をある程度ラディカルにつくりかえなければならない。マインドセットを組み替えるためには、従来の社会の枠組みを飛び出して、自然の一部としての生き生きとした体験を通して、自分の命の世界に少しずつ戻っていく必要があると思います。理屈じゃなくて。
その視点からいうと、森のようちえんも、ワイルドな森の中に入っていって火起こししてみたいなサバイバル体験をすることじゃないよと、私はよく言っているわけです。それぞれの園が置かれた環境の中で、身近にある自然を最大限に生かす工夫をしてほしい。まなざし次第で、都会にも自然は豊かにある。田舎のひとたちが自然に対する感受性が強いかといったらそんなことはないですし。
園の近くのちょっとした小川に行って、「どんな音で流れてる?」と聞いた先生がいました。「春の小川はさらさらいくよ」って歌うけど、ぜんぜんさらさらじゃない。子どもたちは「ペコポコ、ペコポコ、チョッポン!って言ってるよ」とか「チョロチョロ、ポチン!と言ってるよ」とか、いろんなことを言ってくれたんです。
2021.11.05(金)
文=おおた としまさ