生きた言葉をどうしても残したかった
――斜里の人たちは、「赤いやつ」もすんなり受け入れてくれたんですか?
「『赤いやつ』って何者なんでしょうね」というお話はちょっとしたのかな。「肉って赤いじゃないですか、シャケも赤いですよね、命あるものってぴらっと皮を剥くと全部赤いんじゃないですかね」みたいに答えて、そういうおしゃべりからイメージが徐々に固まってきた気がします。
――「赤いやつ」の赤は肉の色だったんですね。炎から来たのかと思っていました。
最初は血と肉の「赤」から始まったんです。ただ「赤いやつ」を考え始めてから、斜里に行くと赤いものばかり探すようになったんですよね。とりあえず赤いものを見たら撮っておけという感じで(笑)。そのうち、薪ストーブの炎とか、電気の煌々とした灯りとか、なるほど赤って熱に関係するものが多いんだな、と気づきはじめました。
――「赤いやつ」のイメージが、斜里にいるうちに徐々に変わってきたんですね。
すごく変わりました。撮影チームが斜里に着いたとき、町の人がみんな「今年は異常だ」と言っていたんです。聞いてみると、どうも今年(2020年)は40年に一度の少雪で、流氷も年々減っているらしい。そういう異常事態を目の当たりにして、地球温暖化についても考えざるを得なくなったんです。この事実を映画に取り入れたいと思うようになり、「赤いやつ」に「40年に一度の眠りから覚めた熱神様」という新たなイメージが加わりました。
正直、斜里に行く前は、環境問題については漠然とした危機感しかなかったし、それを自分の映画に取り入れようなんて思ってもいなかった。だけど実際に斜里の人たちの声を聞いていくうちに、私がやりたいことは一旦置いておいて、今目の前のあるものを撮りなさいって言われたような気がして。大袈裟かもしれないですけど、何か使命感みたいなものが芽生えちゃったんですよね。
町の人たちが話してくれたことは、決して学者的な言葉じゃないんです。「なんか変だよねえ」とか、どれもその人たち自身が感じた、普通なら記録には残らないような小さな声。だけど実際にあのときあの場所でこう感じている人がいた、その生きた言葉をどうしても残したかった。映画ならこの声を残せる。だったら自分がやらなきゃ。そういう思いがどんどん強くなっていったんです。
2021.10.20(水)
文=月永理絵
写真=榎本麻美