毛むくじゃらの真っ赤ないきものが、白い雪のなかに現れた。そこかしこを歩き、叫び、子どもたちの遊びに乱入する。北の果て、知床・斜里を舞台に撮られた映画『Shari』は、ふしぎないきもの「赤いやつ」が暴れまわる、凶暴なファンタジーだ。

 謎の「赤いやつ」を演じたのは、この映画の監督でもある吉開菜央。ダンサー・振付家でもある吉開は、カンヌ国際映画祭に正式招待された『Grand Bouquet』(19)をはじめ、数々の独創的な映像作品を手がけてきた。彼女の初長編映画『Shari』では、「赤いやつ」を自ら演じ、これが初の映画撮影となった写真家の石川直樹らとともに、斜里の新たな魅力を画面に映し出す。

 様々な声と映像がまじりあい、ドキュメンタリーとフィクションの境を超越した『Shari』。このユニークな映画がどのように生まれたのか、監督のこれまでの経歴と一緒に話をうかがった。

私にとって、映画は自分の体の延長線上にあるもの

――吉開さんは元々日本女子体育大学出身なんですよね。映画監督としてはユニークな経歴だと思いますが、どのような経緯で映像制作を始められたんでしょうか。

 最初は普通にダンサーになりたいと思っていて、日本女子体育大学の舞踊学専攻に入学したんです。でも振り付けの授業を受けたりしているうち、自分が踊るよりも人を振り付けたい、というふうにどんどん興味が移っていきました。

 映像をつくりたい、とはっきり思い始めたきっかけは、「お風呂のなかで踊るダンスをつくってみたい」という思いつきから。頭のなかに突然アイディアが溢れてきたんですが、それが完全に映像的なイメージだったんです。体の動きだけでなく、カメラワークや編集点もしっかり決まっていて、「そうか、私は映像を振り付けたいんだ」と気づかされました。

 もちろん実際に撮ってみるとイメージ通りにはいかなかったけれど、すごくおもしろい経験で、それを機に映像をつくる感覚にはまり、卒業後は東京藝大の大学院に進学しました。

――藝大への進学は、映像の撮り方を専門的に勉強したかったからですか?

 それもありますが、自分が撮っている映像を専門の方々に見て批評してほしいという気持ちもありました。体育大では、映像をつくっているのは自分くらいしかいなくて、発表の機会も限られていました。もっと専門の世界に飛び込んで自分の作品を見てほしいな、と思ったんです。

――吉開さんの作品は、映画とアートとしての映像という枠を自由に超えていくイメージがあります。ご自身では、当初から「映画をつくりたい」という意識だったんでしょうか。

 いえいえ、まさか自分が映画を撮るようになるとは思っていませんでした。藝大の大学院も、映画専攻ではなくメディア映像専攻というちょっと変わったところでしたし。初めて映画館で上映する「映画」としてつくったのは、MOOSIC LABに出品した『ほったまるびより』(15)。自分がそれまでやってきた映像表現をどう映画に落とし込むか、という覚悟を決めてつくった作品です。

――映画館で自分の作品を上映する経験は、それまでと大きく変わるものでしたか。

 全然違いましたね。あんな静かで暗い空間なのに、一緒に見ていると他人の感情の動きをびしびしと体全体で感じちゃって。もう全身お祭り騒ぎ! みたいな(笑)。私にとって、映画は自分の体の延長線上にあるもの。それがこんなにも多くの人の目に晒されているなんて、と本当にドキドキするすごい体験で、それ以来自分で映画を見るという行為も大きく変わった気がします。

2021.10.20(水)
文=月永理絵
写真=榎本麻美