ソフトボールの種目外が決定したのは、北京五輪開催の3年前のこと。

「私は十数年間、『五輪で優勝する』という夢だけを追いかけて、歯を食いしばって練習をしてきました。ウチらが勝つことでソフトボール復活に向けたアピールもできるという気持ちもあった。そう考えると(五輪優勝は)自分だけの夢じゃなかったんです」

 北京で413球を投げ切り金字塔を打ち立てた上野だが、その後に待っていたのは地獄の日々だった。

 

「若い子たちに『オリンピックは、どんなところですか?』と聞かれて…」

「『もうやりきった!』って、燃え尽きてしまった。それからの3年間は『何のためにソフトボールをやっているのか』『五輪は終わったのに』と悩み、まったくモチベーションが上がらなかった。『自分にはソフトボールしかないんだ』と気持ちを切り替えるのに、相当の時間がかかりましたね」

 上野はロンドン五輪をどんな思いで見ているのか。

「テレビで選手の表情を見たり発言を聞いているだけで、『あのプレッシャーわかる』『自分も同じ気持ちだった』と、選手の心境を考えてしまう自分がいますね」

 上野は、五輪を「経験した者にしかわからない最高の舞台」だと言う。

「若い子たちに『オリンピックは、どんなところですか?』と聞かれて『素晴らしいところだよ』『成長できるところだよ』って言うんですが、口で言っても仕方がないんですよね。その舞台がないんですから……」

 この日の市営球場でも「神様、仏様、上野様」と呼ばれた剛速球は健在だった。最高の舞台でそれを披露する日はもう来ないのか。

2021.08.02(月)
文=「週刊文春」編集部