少年を主人公にしたことによって、今度は少女の物語が置き去りにされてしまうというジレンマは、細田守作品に賛否を呼んできた。少女表象を消費しないことで女性に支持され、同時に少年をメインに描きすぎることで女性に批判されるという分裂に細田守作品の評価は揺れている。 

 最も近年の作品にもかかわらず、今回の金曜ロードショーの3週連続細田守作品のラインナップから外れた『未来のミライ』は、「父性と規範」をテーマにした作品だった。現代の豊かで優しい父母に育てられた甘えん坊の4歳男児・くんちゃんは、恐怖を乗り越えて自転車に乗ることができず、自分より幼く弱い妹への嫉妬を抑えることもできない。

 未来から来た妹に導かれた主人公のくちゃんは、家系を遡り昔の母や曽祖父に出会いながら、妹を守る兄という自分のアイデンティティを見つけ、自立していく。それは4歳の男の幼児に、「豊かな社会の中で成熟できない男性性」を投影した寓話に思えた。 

 だが、このテーマが映画の中で十分に観客に伝わっていたかどうかは微妙だ。「戦前世代の男から父性を学ぶなんて危険な復古主義だ」という批判もあるだろう。

 

 細田守作品の中では『バケモノの子』『おおかみこどもの雨と雪』に次ぐ興行成績を上げ、本家アカデミー賞アニメーション部門にノミネートされるなど海外で関心を集めながら、今回の金ローラインナップからは外されてしまったこの作品は、細田守という作家が試行錯誤しながら「少年の問題」を考え続けていることを象徴した作品だったと思う。

新作『竜とそばかす姫』で「少女ヒロイン」モノに回帰か

 「おおかみこどもの雨と雪」「バケモノの子」でも、野獣やバケモノという社会から排除された獣性・暴力性に、男性性や父性が重ねられている。「シングルマザーが農業で二児を育てる」といういささか非現実的に思えるファンタジーと、同時に「父親の写真がほとんど残っておらず、免許証を遺影がわりにしている」という、まるである種のアウトローの父親の実話のような奇妙に生々しいリアリティが混在しているのが細田守作品の特徴だ。

2021.07.16(金)
文=CDB