「るろうに剣心」シリーズの最後にして、大友監督の作家性が最も色濃く反映された作品となった

 とことん熱い人だ。「伝えたい」という本気が、目から、表情から、仕草からビシビシと伝わってくる。

 それでいて、紡がれる言葉は理知的で示唆に富み、説得力が凄まじい。大友啓史監督は名匠でありながら、表現者としての活力に満ちている。

 現在公開中のシリーズ第5作『るろうに剣心 最終章 The Beginning』で、10年に及ぶ実写映画『るろうに剣心』が完結。

 本作の舞台は、幕末の京都。桂小五郎(高橋一生)率いる討幕派の志士たちの元で、暗殺者として生きる若き日の緋村剣心=人斬り抜刀斎(佐藤健)が、ミステリアスな女性・雪代巴(有村架純)と出会ったことで、自らの生きざまを見つめ直していく。

 だが、やがて剣心は妻となった巴を斬殺。ふたりの身に、何が起こったのか――?

 剣心の頬の十字傷の謎が明かされるとともに、「不殺」を志した理由や、これまで断片的にしか描かれなかった人斬り時代の詳細がつぶさに描かれる本作。

 過去作に類を見ないシリアスさ、血しぶきが飛び散る凄惨な殺陣、切ない恋愛ドラマなど、新たな、そして真の『るろうに剣心』の世界を見せてくれる“エピソード・ゼロ”だ。

 最高傑作との呼び声も高い『るろうに剣心 最終章 The Beginning』は、奇しくも大友監督の作家性が最も色濃く反映された作品とも相成った。

 ならば、ヒットメイカーが作品に込めた胸の内を聞いてみたくなるのが必定。単独インタビューで、たっぷりと掘り下げていく。

いまの時代に届く「情念」をどう映画に込めていくのか、かなり悩みました

――『るろうに剣心 最終章 The Beginning』(以下『The Beginning』)を拝見したとき、非常に「情念」を感じました。これは、大友監督の作品に共通するワードなのではないかと思います。

 おっしゃるとおり、「情念」は映画を作るときに僕が求めているものです。物語をドラマティックに彩っていくのは、登場人物の、そして作り手の情念だと思います。

 僕の好きな映画作家でいうと、五社英雄さんや深作欣二さんの映画は、情念という言葉を使うにふさわしいように感じますね。今風にいうと、「エモい」ですかね(笑)。

 ただ、同時にこうも思うんです。「いまの時代、情念はポジティブなワードなのか? それともネガティブなワードなのか?」って。

 というのも、文学はいざ知らず、二次元的な創作やフィクションの中で、この言葉が使われなくなってきていますよね。それは、「濃いものが嫌われる」時代性も関係しているように感じるんです。

 僕はずっと「情念」を引き出せる素材を求めているけど、なかなか出会えないのも事実で、このぐらいの規模でロードショーされる作品でいうと、むしろ「情念」のようなものは邪魔というか、少し敬遠されるような傾向がある。

 もう少しライトで薄くて、肌触りが良いものを求められるし、それが10年・20年と続いているように思います。

 だから、いよいよ自分が『The Beginning』をやるとなったときに、実は心配だったのは「俺がやると、濃くなるよ?」、ということでした。

 自分はそうした「情念」を描くにあたって手を抜きたくはないし、ちゃんと“大人の映画”として作りたいと思いますからね。

――幅広い層が観る娯楽大作で、「情念」をきっちりと描く挑戦ですね。

 そうですね。フォーマットと内容の塩梅は非常に大切でした。極端に言えば、剣心(佐藤健)と巴(有村架純)が結ばれるシーンも、もっと濃厚にやるという選択肢もあったんです。

 今回は綺麗にフレームアウトしていく形を選びましたが、「情念」という言葉に引きずられるとしたら五社さんの作品のように目を背けず、男女のひとつの想いを行為に託して描き切ることもできた。

 剣心も巴も設定としては10代で、その年頃の孤独な人斬りと嫁ぐことなく夫を失ってしまった女性が結びついていくって、よくよく考えれば相当ドラマティックなことですよね。

 その帰結から目を背けるか、背けないか、僕の中での最低限のバランスを取りながら創り上げていきました。

 これが単発の作品だったらまた考え方が変わってきますが、『るろうに剣心』のシリーズの流れの中でのテイストやタッチを意識しながら、いまの時代に届く「情念」をどう映画に込めていくのか、「エモい」にどうたどり着くか(笑)、結構悩みましたね。

 他にも、さりげないカットだけど床に転がった大仏の首を巴が見る場面がありますよね。あれは僕の好きな映画『灰とダイヤモンド』で、キリスト像が逆さまにぶら下がっているシーンに触発されてますね。

 観る方がどう解釈してくれるか、それはもう観客に任せるしかないけれど、ああいった大仏のカットやそれを見る巴の表情も、僕が思う「情念」に準ずるカットなんですね。

――原作ファン的には、安慈和尚を想起して「救世」について想いを馳せました。おっしゃる通り、あのカットがあるのとないのとでは、“深み”が全く違いますね。

 そうしたものが、ちょうどいいさじ加減で観る方に届くといいなと思っています。先ほどお話ししたように「濃くなりすぎること」が心配だったから、本性をさらけ出しすぎないように(笑)、意識的に抑えている部分もあるんですよ。

 絶対的な成功を求められるシリーズの最後の最後で本性をさらけ出しすぎちゃうと、僕のキャリアにも影響するかも……と思ったりして(笑)。

2021.06.13(日)
文=SYO
撮影=平松市聖