映画『ファーストラヴ』で心に秘めた過去の出来事を抱えながらも、敏腕弁護士として生きる庵野迦葉役を演じた中村倫也さん。
心が荒んでいたという思春期、成果を出さなければと思っていた無名時代、そして「真面目さの角が取れてきた」と語る現在の状況を、等身大の言葉でまっすぐに語っていただきました。
(全2回の2回目。前編より続く)
「いろんな現場を経験したことで、変化に柔軟になっているかも」
――映画『ファーストラヴ』では、「過去が人間を作る」という台詞が印象的でした。中村さんが、「あの経験があって、今がある」と思えることは何ですか?
うーーーーーん、なんでしょうね? (しばし無言)……まあ、「どこの馬の骨ともわからない奴」と思われていた時代……中村倫也が“なかむらりんや”と呼ばれていたような時代には、常に何か成果をあげなければいけないと思っていたんですよね。
でも、さっきの例えでいうと、「入国許可証」がない時代って、何がよくて何が悪いか、その場で求められる芝居の正解が、現場によってことごとく違ったりするんです。
無名の若者が突然現場入りして、芝居を成立させなければいけないことは、それはそれでやりがいがあった。
今はコロナで、いろんな仕組みが変化しようとしている時代ですけど、役者っていうのはものすごくアナログな仕事なんです。ただセリフを覚えて現場に行って覚えてきたセリフを言う。それだけのこと。
僕自身、いろんな立場で、いろんな現場を経験したことで、変化っていうものに柔軟にはなっているかもしれない。
同じ現場なんて一つもないし。かつてOKだったことが別の現場では通用しなかったり、都度都度違うのが当たり前で、その中で工夫することが、自分ができるただ一つのことだった。今思えば貴重な経験でしたね。
――2017年の舞台「怒りをこめてふり返れ」のときは、演劇好きの友人と、「次は絶対に中村倫也がくる!」ってすごく盛り上がったんです。
そうなんですか?
――千秋楽の日、当日券売り場に長蛇の列ができていましたよね。あんな暗い時代の、偏屈なイギリス人の役で、あんなに難解な言葉をいとも容易く操っていて。わかりやすいエンターテインメントとは違いますが、「演劇を観た!」という実感と、非日常的な中のものすごい切実さが胸に迫ってきました。
ありがとうございます。
――役者人生の目標の中には、ああいう難解な役に挑戦することも含まれていたのですか?
「怒りをこめて〜」は、1957年ぐらいに書かれた戯曲で、それを古典と言っていいのかわからないですけど、現代劇じゃない翻訳ものをやっていきたいという思いは、俳優になってからだんだんと持ち始めました。
――それはなぜですか?
たぶん、自分がひねくれているからですね(笑)。
この世界に足を踏み入れてから、お客として、いわゆる古典と呼ばれている舞台作品を結構たくさん観てきたんですが、シンプルに「面白かった」と思えたことが少なかったんです。
古典を古典としてやってしまうと、僕らのような世代には、娯楽的に感じられないというか。
「怒り〜」も、用語とか時代性とか人種とか宗教とか、いろんな複雑な要素が絡み合っているんですが、僕はひねくれているので、そこに忠実にならずに、自分の感性を大事に演じたっていいじゃないかと思ったんです。
ある意味、古典に対する最大限のリスペクトは、現代人である自分が感じたままに演じることなんじゃないかって。
正直に言うと、自分の中でもあれは「よくやった!」と言える仕事だったんですが、演劇界の重鎮の方からは、「これは『怒りをこめて〜』じゃない」という声も聞こえてきて(苦笑)。
でも、それに対しては、「うるせーな」と(笑)。そこで、「そうですよね」と謙遜するのではなくて、「うるせーな」と思ってしまう自分がいたので。
そういう反発心が自分の中にある限りは、古典の翻訳ものをやるのは意味があることなんじゃないかと思ったんですよね。
2021.02.05(金)
文=菊地陽子
撮影=榎本麻美
スタイリスト=戸倉祥仁(holy.)
ヘアメイク=Emiy