では、なぜ黒人が多いのか──。
それは、教育を受けられないからだという。教育を受けたくても受けられない。機会に恵まれない。だから安易な発想から犯罪に走る者も多い。
教育を受けられないのは、そこに潜在的な差別があったり、あるいは経済的に恵まれない条件があるからだった。教育を受ける機会に恵まれなければ、自由競争社会の中で経済的に裕福にもなっていけない。ますます教育を受ける機会からも遠ざかっていく。
つまり、アメリカの強烈な格差社会が、そのまま死刑の格差に影響しているというのだ。
法律によって人を殺すことよりも、もっと残酷な現状を社会システムが作り上げている。ならば、死刑そのものを廃止すべきであるという考えなのだ。
格差社会に伴う、白人に死刑判決が出難い理由がもうひとつある。
経済的弱者は、報酬の高い優秀な弁護士を雇えない。優秀であれば、報酬も高くつく。経済的な弱者が黒人に圧倒的に多く、これによって白人が罪を犯したとしても死刑回避の確率も増すという次第だった。それが、格差社会の生んだもうひとつの死刑格差に結び付いているのだ。
“優秀な弁護士”と格差
では、ここでいう“優秀な弁護士”とは、どういった存在だろうか。
それはすなわち、陪審員の心を直接つかむことのできる弁護士に他ならなかった。真実であれ、詭弁であれ、あるいは視覚効果によってでも、法廷の空気を演出し、劇的に陪審員の心を揺り動かす。依頼人に少しでも有利になるように、あらゆる手立てを使い、手法を駆使して、一般人から抽出された陪審員にアピールする。真相究明よりも、裁判に勝ってこそのキャリアであり、高収入につながる。それこそが優秀な弁護士である。
──と、いうことは、日本の検察がすでに演出して見せたように、劇場型の立証で裁判員の心を動かす弁護士だって、これから日本に誕生してくる可能性もある。そのための研究や訓練ももっと進むことだろう。そうなると、アメリカ型の優秀な弁護士によって、死刑はどんどん回避できるようになる。それだけ弁護士の報酬も増えていく。それも優秀な弁護士を雇えるだけの経済力を持つ被告人によって。
裁判員制度は、そもそもアメリカ型の自由競争社会とこれに伴う自己責任型社会の到来を目指した構造改革路線の上に出来上がったシステムだ。
当然のことながら、死刑格差だってでてくる。貧しい人間は死刑になる可能性が高くなり、富裕層は経済力によって救われていく。
まして、裁判員という一般素人が量刑まで決めることになっているのだから。
そんな残酷な世の中が、日本にもやってくる。
そのことを、覚悟しなければならない。
2021.04.27(火)
文=青沼陽一郎