だから、市民に有罪無罪の判断をゆだねる陪審制には問題が多く、それこそ日本でも裁判員制度の導入、裁決権を持つ一般市民の司法への参加には反対の声もあがっていた。

 しかし、死刑を廃止する本当のところは、その残酷さにある。──そういうと、日本の死刑反対論者や人権派と称する輩が、それみたことか、人を殺すことそのものが残酷なのだ、と直情的に主張するところと重なってしまいそうだが、そんな安易で安直なものではない。アメリカの社会制度そのものに、死刑を取り巻く残酷性がある。

 

死刑判決者は圧倒的に黒人が多かった

 2008年の夏。ぼくがイリノイ州シカゴと、そのお隣ウィスコンシン州を取材で訪れた時に知ったことだ。

 ウィスコンシン州では、1951年を最後に53年からは死刑が廃止されている。昔からリベラルな土地柄で知られ、民主党系が強い地盤でもある。現在の州選出の下院議員も、同性愛者であることを公表しているアメリカ初の存在だった。

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 そこで死刑廃止論者が主張する理由に、死刑判決者は圧倒的に黒人が多いことがあげられた。

 それを聞いて、すぐにぼくの頭にはピンときた。黒人に対する差別意識が陪審制によって反映されるものだと思った。実際に、ある映画の光景も浮んだ。グレゴリー・ペックの演じた弁護士役がアメリカヒーローの理想像に挙げられる名作『アラバマ物語』(TO KILL A MOCKINGBIRD/’62)では、無実の黒人青年が陪審によって有罪に、そして死に追いやられていく風景を描いていた。

 ところが、そんな差別意識が陪審員によって反映されたのは、ひと昔前の時代のことだった。現代において、そんなことはまずあり得ないと反論された。

 

なぜ黒人の犯罪率が高かったのか

 実際に死刑判決者に黒人が多いのは、絶対的にそれ相当の罪を犯しているからだった。死刑や冤罪を抜きにしても、やっぱり圧倒的に黒人の犯罪率は高い。死刑になるのもやむを得ない黒人が多いという。

2021.04.27(火)
文=青沼陽一郎