男らしくしないと、と人生の最期まで思っている悲哀

『俺の家の話』もまた、父・寿三郎の「男性としての見栄」にスポットライトを当てる。

寿一の父親役・西田敏行 ©文藝春秋
寿一の父親役・西田敏行 ©文藝春秋

 人間国宝として尊敬され、能楽師として成功をおさめた寿三郎。しかし人生の最期を迎えるにあたって「自分の風呂敷の畳み方がわからない」のだと、さくらに伝える。

 威厳ある父親であることや、異性として求められる男性であることをアイデンティティにしてきた。しかしそれらがなくなった自分は、どうやって生きていたらいいのか。分からない寿三郎は、若く美しいさくらに「あなたが私のことを好きじゃないのは知っているけれど、婚約者ってことにしておいてほしい」と頼む。「じゃないと落とし前がつかないから」。

 寿三郎は、異性に求められる自分でいなければ恰好がつかないと感じている。男らしくしないといけない、と人生の最期まで思っている。その姿に、男性の悲哀と呪いを感じてしまう視聴者は多いだろう。

 

死ぬ間際だからこそ明かされる、父のさまざまな秘密

 一方で、第4話ではある秘密が明らかになる。寿限無の父親は自分であったこと、そしてその事実をずっと伏せてきたことを、寿三郎は、人生の最期だからと打ち明けてしまう。子どもたちは絶句する。さらに寿限無自身も、その事実を受けて寿三郎への対応を変える。

 死ぬ間際だからこそ明かされる、さまざまな父の秘密。『俺の家の話』は、展開が進むにつれ、寿三郎が決していい父親ではなかったことをどんどん明かしていくのだ。

 決して100パーセント善良なわけではない、間違いだらけの父親。「立派ではない父」をそれでも介護しなくてはいけない息子、娘の姿。それは寿三郎が父として立派であろう、威厳を保とうとする姿とは裏腹に存在する、家族のもうひとつの側面だった。

桐谷健太 ©getty
桐谷健太 ©getty

 端的に言ってしまえば、異性からモテることを最期まで誇示したがる父の姿と、異性への欲に負けて間違った父の姿が、両方描かれているのだ。「男らしくある」ことにとらわれる寿三郎と、その父と向き合う子どもたちの葛藤は、『俺の家の話』のひとつの大きなテーマになっている。

2021.02.25(木)
文=三宅香帆