マスクは思いがけない変化をもたらした。
異物感だけではない、逆に今まで曖昧だった存在感の有無と是非、“形のない魅力”と言ってもよいものが、その人にあるのかないのかをはっきりさせてしまうような。
マスクをしていようがいまいが相手を魅了できる人になる……新しいテーマである。
マスクをつけると存在が消える人、消えない人、その差は?
皆が一様にマスクをしていて気づいたことがある。マスクをしていると誰だかわからなくなる人、マスクをしていても遠目から誰だかわかる人にハッキリ分かれること。でもその差は一体どこから来るのだろう。
目もとのインパクトの有無ではない。人間はもともと相手の目を見ているようで見ていない。だから誰がどんな目をしていたか、それほど記憶にないのだ。しかし、マスクをしていると改めて目をまじまじ見られることになり、それゆえにマスク時代の目もとが重要なのは確かなのだ。
とはいえこれは、アイメイクをしっかりしましょうという話じゃない。マスクをしている時の印象を決定するのは、目もとではなく、気配。それこそ存在感の有無が明快に問われていると言いたいのだ。これまでも存在感はさまざまに定義されてきたが、マスク時代こそ、その有無や是非が決定的になる。
もともと存在感のある人は、マスクをしていることさえ気づかないほどに存在を丸出しにしているし、逆に日ごろから、存在を隠すように生きている人はマスクをすると完全に姿を消す。良い悪いではなく、そういうこと。
もともとその人を思い浮かべた時、顔立ちがはっきり浮かぶ人は、マスクをしてもしていないみたいに遠目にも誰だかわかるのだ。だから改めて、存在感って何なのか、マスク時代の今ならば形で見える。とすれば今こそ存在感を磨くいいチャンスなのではないか。
今最も強い存在感を放つ人のひとりが、今年一番の話題作『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』で、ジョーを演じたシアーシャ・ローナン。この人は、『つぐない』から『レディ・バード』まで、抑制の効いた憑依型女優としてどんな役も“なりきり”を評価されてきた人だが、この作品を見て思った。彼女こそ、まさにみんなの中のジョーのイメージそのものだと。
映画の作りが素晴らしいからもあるけれど、これほど見事なキャスティングはないと思えるほど全員当たり役で、とりわけジョーは、架空の人物とはいえ、生き写し的なハマり方。それは演技のうまさもさることながら、この人の存在の強さを物語る。
誰もがするするストーリーを語れるくらいに、時代を超えて愛される名作のキーパーソンとイメージがダブる人、それは文句なく強烈な存在感を持つ証だろう。
こういう人こそマスクをしても、マスクが見えない人。またその存在の強さだけで人を魅了することができる人なのだ。やはり魂の強さなのだろうか。マスクだらけの世の中でも、存在を煌めかせる人ってちゃんといるのだ。
◆『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』(2019年)
ルイザ・メイ・オルコットの自伝的小説『若草物語』を実写化。シアーシャ・ローナンが、作家を夢見る次女、ジョーを演じる。
4,743円(2020年10月14日発売)
発売元:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
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2020.10.19(月)
文=齋藤 薫