家庭料理は美しくなくても大丈夫
作り手の手間の削減を優先すべし

 そうそう、冷やし中華といえば忘れられないことがあります。とある雑誌の撮影で、冷やし中華を料理研究家さんに作っていただいていたときのこと。

 冷やし中華って、玉子の細切りがのってますよね。「錦糸玉子」とも呼ばれます。錦の糸のようにきれいな玉子。アシスタントさんが作ったそれをチェックして、料理研究家の先生がひとことおっしゃいました。

  「これじゃ“糸”じゃなくて、“ロープ”ね。太すぎる。私が作ります」

 私などの目ではアシさんが作ったのも充分細くきれいに見えたのですが、先生が作ったものを見て納得。

 たしかにより繊細で、幅がそろって美しい。これがプロかと思いつつ、やっぱり私たちは「非日常のもの」を作っているのだと再確認しました。

 雑誌のグラビアだからこそ、ていねいに作る。お金をいただいて見せるものだから。

 それに対して日常の家庭料理、自分のための食は、見かけよりも作る人の手間の削減やラクが優先されてしかるべきです。

 もちろん、日常の食でも美しくきれいに作りたいという人もいるでしょう。

 おのおのの自由だけど、私はざっくりで充分。「私はこれで充分」という感覚の線引きができることが、人生を軽く、より楽しくするポイントだと思うのです。

2019.08.15(木)
文=白央篤司