料理を「作らない・作れない」ことに罪悪感を持っている人に贈る、ベテランフードライター・白央篤司さんの金言&レシピ。
冷凍食品にちょい足しするのも立派な自炊。簡単なことから始めてみませんか?
『自炊力』という本を昨年出版してから、「料理に苦手意識があったんですが、本を読んで気持ちが楽になりました。もっと簡単に、自分にできることをやればよかったんですね」的な感想をとても多くいただくようになりました。このことについて、今回は書いてみたいと思います。
例えばこんな会話があったとします。このふたりは初対面としましょう。
A「料理とかするの?」
B「うん、するよ」
この場合の「料理する」って、どのくらいの状態をイメージされますか? 料理に苦手意識のある人達からヒアリングしていると、「料理する」というのは、日常的に手作りをしていて、食材も使いまわして、もてなし料理のレパートリーも少なからずある……ぐらいをイメージされる方が多いようなんです。
これって相当ハイレベルな状態ですし、現代ではいっそ少数派じゃないでしょうか。
日本人は「料理する」ということのハードルを上げ過ぎだな、と心から思うのです。「料理する」というのは、「ほどほどに満足できる程度に、自分の食をまかなえる」ということで充分ではありませんか。
例えば、「料理するって、魚さばいておろせるぐらいじゃないと言っちゃいけないと思っていた」というような声、わりに聞かれるんです。
魚おろしに限らず、ある人は「ルーを使わずカレーを作れる」だったり「餃子を皮から作る」だったり。それらを実際にできるようになりたいと思っているならいいのですが、そうではないのに「料理ができる」というレベルをそこに設定してしまうと、これは何にもいいことないんですね。
自分が本心から望んでいない状態が「料理ができる」ことになってしまうので、永遠にそこにはいけない。いや、そもそもそこに行きたいのでしょうか?
「おしゃれなものは全然作れないので、料理できるとか絶対言えません」
といった声も少なからず聞かれました。これ、「料理=人の目を気にするもの」という考えに陥っています。見た目や盛り付けも大事なことではありますが、まずは「自分のために料理し、食べる」ことを大事に考えてほしいんです。
「私は、これでいい」という自炊スタイルを見極めることが、あなたをより楽にします。それは時に手作りじゃなくたっていいし、作らない日だってあっていい。
さらには「料理するということ=すべてが手作り」的な考えも、私はもう現実的じゃないし、人々をいたずらに苦しめるものだと思っています。
「私の自炊生活はこれでじゅうぶん」というラインを作ってから、私はどんどんラクになり、料理が楽しくなりました。レトルトや冷凍商品もどんどん活用しています。
2019.05.17(金)
文=白央篤司