現在、日本に約3,300基ある灯台。船の安全を守るための航路標識としての役割を果たすのみならず、明治以降の日本の近代化を見守り続けてきた象徴的な存在でもありました。

 建築技術、歴史、そして人との関わりはまさに文化遺産と言えるもの。灯台が今なお美しく残る場所には、その土地ならではの歴史と文化が息づいています。

 そんな知的発見に満ちた灯台を巡る旅、今回は2020年に『少年と犬』で第163回直木三十五賞を受賞した馳星周さんが石川県金沢市の大野灯台を訪れました。

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118段の彼方に見えた、風を待つ馬たち

 大野灯台があるのは、金沢市大野町。大野町は金沢の西、海に面した一角だ。古い街並みに風情があり、そこかしこに古い醤油の蔵元がある。

 大野灯台は遠目にも、いわゆる普通の灯台とは違うことがすぐにわかる。普通の灯台は丸い塔の形をしているが、大野灯台は四角いのだ。大野の町には高い建物があまりないのでよく目につく。

 大野川の河口近くにあって、金沢港と日本海、そして大野町を睥睨するように立っているのだ。

「これから百十八段の階段を昇ってもらいます」

 灯台内部に入る前に、金沢海上保安部の松野寿郎さんが言った。我ら一行を心配するような表情だ。

 案ずることはない。こちとら、数年前までは標高三千メートルの山に登っていたのだし、今は、愛犬アイトールと共に、アップダウンの激しいルートをわざわざ選んで毎日一時間以上歩いているのだ。

 百十八段がなんだ。編集者やカメラマンのことは知らんけど。

 そう大見得を切ったものの、さすがに百十八段を一気に昇ると息が上がりかけた。同じ急勾配とはいえ、坂道と階段ではやはり、昇るときにかかる負荷が違う。

 大野灯台は高さ二十六メートル。およそ八階建てのビルに相当する。最上部からデッキに出ると、その高さにくらくらしてくる。この日も雲が多く、絶景は拝めそうにない。

 この灯台も、以前はフレネルレンズを使っていたのだそうだが、今はLED光源に替わっている。

 見たかったなあ、大野灯台のフレネルレンズ。

 這々の体で下に降り、松野さんに大野灯台のあらましを聞く。

 明治十一年、大野町の船主であった浅勘七が灯竿(円い柱の上で魚油を燃やすもの)を建てたのがはじまりで、明治三十年には大野町が別の灯竿を建てたそうだ。そして昭和九年に公設標識として認定され、昭和二十五年からは海上保安庁に移管された。昭和二十八年に今の場所で建て替えられて今日に至るということらしい。

 その頃の光源は白熱電球とフレネルレンズ。令和五年にLED化されたとのこと。

 どうして四角い構造になったのかは聞き忘れてしまった。高所恐怖症の余韻が残っていたからか。

 やはり、大野町も北前船との関わりが深いということで、大野町の老舗の醤油蔵元、ヤマト醤油味噌を訪れて、そこで大野町と北前船のことを訊くことに。

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