変化してきた朝ドラの「妻」像

 朝ドラは60年以上の歴史の中で、様々な夫婦の形を描いてきた。1つの大きな転機となったのは、放送時間が8時からに変わった『ゲゲゲの女房』(2010年)だ。水木しげるの妻をヒロインに描いたこの作品は大ヒットを記録し、以降、著名人の妻をヒロインに据える"夫婦もの"が定番化していく。

 近年の朝ドラでは、妻を単なる「支える人」ではなく、対等なパートナーとして描く傾向が顕著だ。『まんぷく』(2018年)では、安藤百福をモデルとした萬平に対し、妻・福子は「マネジメントする人」として描かれた。『らんまん』(2023年)では牧野富太郎をモデルとした槙野万太郎の妻・寿恵子が待合茶屋を経営し、万太郎の研究を経済的に支え、自身も「花を咲かせた人」として描かれた。『あんぱん』では、やなせたかしをモデルとする嵩と妻・のぶが幼馴染で、のぶがリードする「女性上位」の関係性が一貫して描かれている。

 また、有名人の妻が主人公の物語ではないが、『スカーレット』(2019年)では、同業夫婦で、妻である喜美子のほうが陶芸家として成功し、妻の焼き物への没頭と、夫の嫉妬や複雑な心境から夫婦としては破綻するものの、新たな「家族」の形を模索する姿が描かれた。

 しかし、どの作品も「妻の家事労働に対価が発生するか」という問題には正面から踏み込んでこなかった。妻がいかに主体的に描かれても、家庭内の労働はあくまで「愛情」の範疇として処理されてきたのである。

 ただし、家事という「無償労働」にさりげなく踏み込んでいた作品がある。『カムカムエヴリバディ』(2021年後半~2022年前半)の二代目ヒロイン・るい(深津絵里)の夫・錠一郎(オダギリジョー)だ。トランペッターとしての夢が断たれた後、カネを稼がないことで「ダメ父」とされた錠一郎だが、その実、子ども達の日常の世話(雨に濡れて帰った子どもの髪を乾かすなどの手慣れた様子が見える)や、将来の悩みなどへの相談相手、妻の悩みのフォローなど、「名前のない家事」「透明化されている主婦業」の部分を担い、回転焼き屋としてカネを稼ぐ妻を支えていた。

 貧乏ながらも子どもたちがのびのび呑気に明るく育ってきたのも、家族のことに脳のリソースの大多数を使用する父があってのことだったろう。ただ、「男がカネを稼がない」インパクトによって、錠一郎の家庭内での透明化された役割・労働には気づいていない視聴者も多かったのではないだろうか。

『ばけばけ』が正面から切り込んだ「無償労働」問題

 『ばけばけ』が画期的なのは、この「無償労働」の問題に正面から切り込んだことだ。トキは女中時代、家事労働の対価として給金を得ていた。ところが妻になった途端、同じ労働が「無償」になる。この矛盾を物語の中心に据え、ヒロインに「結婚したら給料がもらえなくなる」と言わせた朝ドラは、おそらく初めてではないだろうか。

 さらに本作は、トキが結婚を機に川のむこうに越し、豊かになったことで生じる問題も描いている。女が生きていくには、男と一緒になるか身売りしかないとされていた時代。女が自力で生きるわずかな道として、幼い頃から教師を志し、勉強し続けてきたサワ(円井わん)や、家族のために遊女をやってきたナミ(さとうほなみ)との経済格差による分断。

 サワが男性達と同じ教師でありながら、貧しさゆえに正規の教師になれず、月4円という低賃金の「代用教員」であるという、今も大多数が女性によって担われている「非正規雇用」問題。やはり女病気の母を抱えるサワの、やはり女性が担うことの多いケアという視点の「ヤングケアラー」問題にも触れている。

 「何も起こらない日常の物語」というのは、脚本家・ふじきみつ彦氏も制作統括・橋爪國臣氏も繰り返し語ってきたこと。また、橋爪氏は「現代の価値観で断罪しない」と語っていたように、当時当たり前だったことをそのまま描くことを徹底している。にもかかわらず、それを見る側は今の時代との重なりを嫌でも感じてしまう。光と影の「影」のほうから、低い位置で日常を、人々の営みを眺めつつ、ユーモアたっぷりに描くことで、影の側に生きる人々にも足元にある社会の問題が自然と届く技巧派の作りだ。

 今は「日本人より日本人らしい"異人"」としてもてはやされているヘブンと、成り上がりで女性達に憧れられる妻・トキ。だが、世間の空気や風向きは変わりやすく移ろいやすいもの。このまま順風満帆でいくわけがない。ヘブンが作家として成功していく傍らで、その創作活動を支えるトキだが、第一話冒頭では学のなさを嘆き、卑下していたことを思い出してほしい。トキの活躍は表に出ず、ヘブンのみが賞賛を受ける展開になるはずだ(史実を見ても)。仲良しの夫婦の、ちょっと笑えて幸せな日々の中にも、そうした当時の女性の置かれた立場、女性が自分の力で生きていくことの大変さと、存在が消されて透明化する哀しさが見えてくるのではないだろうか。

 明治の松江から令和の私たちへ。100年以上の時を超えて投げかけられる「無償労働」への問いや、女性が担わされているものの重さ、不平等で理不尽な社会構造、今もなお続く、出口の見えない数々のうらめしさを『ばけばけ』は笑いの中に描いてみせるのだ。