〈“違法”と知りながらプロポーズ→新聞社をクビに…『ばけばけ』ヘブン先生のモデル・小泉八雲を苦しめた“最初の結婚”〉から続く
小泉八雲と妻・セツをモデルにしたNHK連続テレビ小説『ばけばけ』。松江の没落士族の娘と、アメリカからやってきた新聞記者という、言葉も文化も異なる2人が今後どのように夫婦になっていくのか。気になる展開が続いている。
そんな朝ドラを観ながら、「実際の2人はどうだったのだろう」と気になった人も多いのではないだろうか。
借金の返済に追われる生活、最初の夫との別れ、実の父母との複雑な関係……。『ばけばけ』では朝からハードな展開が続くが、実はそれこそが、のちに夫婦となる2人をつなぐ“共通点”だったのである。
八雲とセツのひ孫で、小泉八雲記念館の館長を務める小泉凡氏が語った『セツと八雲』(朝日新聞出版)より、3回にわたって抜粋。知られざる夫婦の実像に迫る。(全3回の3回目/最初から読む)
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セツが語った八雲「柔和さが印象的」
1891(明治24)年の恐らく2月上旬に、セツが住み込みで八雲のそばで働くことになります。23歳でした。
この間のいきさつについてはよく分からないこともあるのですが、当時の八雲は尋常中学校の外国人教師で、尊敬の念を抱かれる存在でした。そこで旧士族の娘として教養があり、茶道などのたしなみもある、と目されていたセツが、世話係として推されたのではないでしょうか。
セツは後年、長男の一雄に八雲の第一印象をこんな風に語っています。
左目が見えないことは聞かされていたけれど、やはり痛々しかった、と。でも右目の輝きと、その中に感じられる柔和さが印象的で、形の良い鼻や細面、それに広い額で利口そうな感じがした、と。
セツは「旧士族の女性ではない」と不機嫌になった八雲
一方、八雲にとってセツの第一印象は、実はよくありませんでした。
というのも八雲は「旧士族の女性」が世話係になる、と聞かされ、いかにもきゃしゃな人が来る、と決めてかかっていました。思い浮かぶ、旧士族の女性のイメージがあったようです。
でも、セツはそういった印象に重なる人ではありません。少女時代からずっと機織りに励んできたので、手と足がたくましくなっていたのです。
かたや八雲は子ども時代から大叔母の家で育てられ、他人との関係に苦労して育ったせいか、ささいなことでもウソをつかれるのが許せないたちです。やってきたセツについて「旧士族の女性ではない」、と言い募り、不機嫌になってしまった、と伝わっています。










