共通するユーモア感覚

近田 息子さんたちがそう言った理由って、順子さんが母親だからじゃないと思う。あくまでも客観的に、浅野順子という才能を評価したことの帰結だよ。50歳超えて分別ついた男が、今さら身内を無意味に持ち上げたってしょうがないんだから。

浅野 そういうこと言われると、うれしくなるわ。

近田 若い子たちにとって、こういう先輩の存在は、一つのロールモデルになる。これまでの波瀾万丈の経験を、縦横無尽に活用してほしいところだよ。

浅野 まあ、まだまだ話してないこと、話せないことも多いんだけど(笑)。

近田 画家・浅野順子に張り合うつもりはないけど、そういや、僕もスマホでいろんな絵を描いてるのよ。

浅野 そうなんだ。見せてよ。

近田 子ども向けの無料のお絵描きアプリを使ってさ、電車に乗ってる時なんかに描いてるんだ。写真を取り込んで、色を塗ったりするのは楽しいよね。

浅野 どんなモチーフを描いてるの?

近田 いろいろだけど、ミュージシャンの絵は多いね。(スマホの画面を見せながら)ほら、これはドナ・サマー、これはロッド・スチュワート……。

浅野 私も、レディー・ガガとか描いてるのよ。スマホでも、毎日決まって3、4点は絵を描いてる。全然整理してないから、どこにどの絵があるか、分からなくなっちゃうんだけど。

近田 順子さんと僕の絵には、共通するユーモア感覚があると勝手に思ってるんだ。

浅野 こうやって見せ合いっこすると、確かにそう感じるわね。

近田 アートをはじめとして、順子さんのセンスは、現代の日本社会において、あまりにも示唆に富むところが多いよ。先生、これからも、引き続き勉強させてください!(笑)

【完】

浅野順子(あさの・じゅんこ)

1950年横浜市出身。ゴーゴーダンサー、モデルなどを経て結婚し、ミュージシャンのKUJUN、俳優の浅野忠信の2児を儲ける。ブティックやバーの経営に携わった後、独学で絵画を描き始め、2013年、63歳にして初の個展を開催。その後、画家として創作を続ける。ファッションアイコンとしても注目を浴び、現在は、さまざまなブランドのモデルとしても再び活動を繰り広げている。

近田春夫(ちかだ・はるお)

1951年東京都世田谷区出身。慶應義塾大学文学部中退。75年に近田春夫&ハルヲフォンとしてデビュー。その後、ロック、ヒップホップ、トランスなど、最先端のジャンルで創作を続ける。文筆家としては、「週刊文春」誌上でJポップ時評「考えるヒット」を24年にわたって連載した。著書に、『調子悪くてあたりまえ 近田春夫自伝』(リトルモア)、『グループサウンズ』(文春新書)などがある。最新刊は、宮台真司との共著『聖と俗 対話による宮台真司クロニクル』(KKベストセラーズ)。

Column

浅野順子×近田春夫対談

ドラマ「SHOGUN 将軍」でゴールデングローブ賞助演男優賞(テレビドラマ部門)を受賞し、国際派俳優として注目される浅野忠信(51)。その長女のSUMIRE(29)、長男のHIMI(25)もモデルやシンガーソングライターとして活躍中。そんな一家の面々を陰で支えてきたのが、浅野忠信の母、浅野順子さん(74)だ。順子さんは、戦後、日本に駐留していたアメリカ人調理兵の父と元芸者の母の間に生まれ、1960年代、山口小夜子やキャシー中島も所属し、横浜・本牧のディスコで華やかに遊ぶことで知られていた美少女グループ「クレオパトラ党」の一員だった。さらに、60歳を過ぎて出会った恋人に才能を見出され、画家デビューしたという特異な経歴を持つ。彼女と同時代を生きてきた畏友、ミュージシャンの近田春夫さん(74)を聞き手に迎え、稀代の女傑の半生を彼女のアトリエで掘り下げる。