「摩羅街」の昔と今の姿

左:1950~60年代頃の「摩羅街」。右:現在の姿。

 1840~50年代、現在の「摩羅上街」付近一帯に数名のインド人が移り住んだのが始まりで、付近にはインドのお寺も建てられ、当時の駐港イギリス軍にいたインド人も多く住み始めます。広東語の口語呼称では、インド人のことを「摩羅(モーロー)」と呼びますが、インド人が多く住むこの場所を地元の人たちが「摩羅街」と呼び始めたのが、そのまま通り名になったと言われています。

 2010年には、「摩羅(モーロー)」は侮蔑呼称だとして、通り名を改名……という意見も出されたのですが、すでに世界的に有名な観光地であること、「摩羅」という言葉は、中東のイスラム商人であったモラーマン、または中世にヨーロッパを攻めた北アフリカ人(ムーア)が由来とされていること。また、香港人も一般的総称として、香港にやってきたインド人(当時は中東の人と区別がつきにくかったとか)を「摩羅」と呼んだこと。それらの理由で、通り名は保護され、現在に至っています。

 実は最近、「摩羅街」もだんだんと変化があり、骨董品店だけではなくBIBOのようなレストランやカフェ、雑貨屋、パン屋などが増えつつあります。2015年現在、摩羅街はインドもフレンチも中国も混在する、楽しいストリートになってきています。

ジェニー中村 (ジェニー なかむら)
1986年より香港在住のメディアコーディネーター。雑誌やテレビの取材コーディネートや「食」の分野を中心に、幅広く香港を取材、執筆活動などを行っている。“日々変化する香港”にテンポを合わせながらも、ふと振り返る“記憶の中の香港”に白昼夢するのが大好き。
ブログ「香港スタイル」 http://www.cathaypacific.co.jp/hongkong/blog/nakamura

Column

香港ストリート 今昔物語

いつでもどこかが工事中! そんな日々進化(?)し続けるアジア随一の国際都市・香港。香港在住のジェニー中村さんが、この街に縦横に走る数々のストリートの今と昔の姿、そこで生きる人々の目線から、香港人も知らない香港の魅力をじっくりとご紹介します。知れば知るほど香港が好きになる!

2015.09.23(水)
文・撮影=ジェニー中村