本阿弥光悦が京都に「芸術村」を築いてから400周年

「四季花鳥図巻」下巻 部分 東京国立博物館蔵 Image:TNM Image Archives

 京都の上層町衆出身で、「寛永の三筆」として名高く、俵屋宗達の下絵に和歌を散らし書きした華麗な和歌巻の制作、また木版活字の謡本や漆工芸のディレクションなど、多彩なジャンルで活躍した本阿弥光悦は、後に「琳派」と呼ばれるようになる絵師たちの系譜の、いわば原点に位置する。その光悦が徳川家康から鷹が峰の土地を拝領、一族や職人たちとともに移り住み、「芸術村」と後に称された共同体を築いたのが1615年。来年、400周年を迎えるのを機に少なからぬ琳派展が予定されているが、この「特別展 酒井抱一 ─江戸情緒の精華─」は、光悦や宗達、尾形光琳・乾山の兄弟ら京都を中心に活動した作家たちの後を承けて、江戸時代後期の江戸で活躍した、酒井抱一の画業を振り返る展覧会だ。

 酒井抱一(1761~1828年)は姫路藩主酒井雅楽頭家の次男として生まれ、37歳(寛政9年、1797)で出家、風雅な趣味人として、絵画と俳諧という二つの領域に深く傾倒する人生を送ったことで知られる。藩主の兄・忠以も西洋画風の絵を描き、そのサロンに多くの文化人が出入りする趣味人だった。先の影響を受けた抱一も、狩野派の奥絵師に画の手ほどきを受け、また狂歌の大田南畝、戯作の山東京伝らと交遊を重ねて、吉原の遊女をモデルに浮世絵まで描いている。

2014.10.29(水)
文=橋本麻里