クラス会で明らかになる高校時代の事件の真相
20代前半では近すぎる。30歳を過ぎると少し遠くなってしまう。10代のころをふりかえるのに、28歳はちょうどいい年齢なのかもしれない。10月4日(土)より全国公開される映画の原作『太陽の坐る場所』は、高校を卒業して10年経つ男女が、クラス会をきっかけに過去に囚われた自分を発見し、新たな世界に一歩踏み出す物語。『鍵のない夢を見る』で直木賞を受賞した辻村深月が、初めて自覚的に“地方”を描いた作品だ。
ある年の春。F県立藤見高校3年2組のクラス会が東京で開かれる。田舎に残ったグループと都会に出たグループは自然と別々の場所に集まるが、話題の中心はかつて同じ教室で過ごした人気女優キョウコのこと。クラス会に呼んでも来ない彼女に、同級生たちはなんとか接触しようとするが……。キョウコがクラス会にあらわれない理由は、高校時代に起こった事件と関係があった。
成績優秀で、いつも友達に囲まれていて、恋も堂々とする。クラスの女王だった少女が「太陽はどこにあっても明るいのよ」と宣言して体育倉庫に閉じこもったのはなぜなのか。誰に向かってそう言ったのか。ふたつの謎を柱にストーリーは進んでいく。
演劇をやっている聡美、映画業界で働く紗江子、大手アパレルメーカーに勤める由希、地元銀行の東京支店に配属された島津、テレビやラジオに出ている響子。一見日の当たる場所にいる5人の過去と現在、内面にある葛藤が、それぞれの視点で語られる。
例えば容姿が地味で恋愛に縁がなかった紗江子は、高校生のころ欲しかったものを手に入れて〈かつての教室に一緒にいた彼らに、全てを諦めていたかつての自分に、今を見せる〉と思う。他人にどう見られるかをひどく気にするのだ。紗江子だけではない。全員が大人になっても思春期と変わらない過剰な自意識と承認欲求をもてあましている。痛い。痛すぎるけれど、誰もがきっと5人の中に自分を見つけることができるだろう。
ひとりの登場人物につき1本の映画が撮れるのではないかと思うほど各話は濃厚。文章ならではの仕掛けもある。映像化は当然難しい。メガホンをとったのは、『ストロベリーショートケイクス』『スイートリトルライズ』の矢崎仁司。原作に惚れ込み、映画の時間内で世界観を表現するため、脚本を30回以上書き直したという。結果、聡美と紗江子のパートは削られた。矢崎監督がこだわったのは回想形式の映画にしないで「誰の心にも刺さる記憶のカケラを放り込む」こと。一つひとつのカケラが鮮烈だ。
2014.10.01(水)
文=石井千湖