夜の街で生きる女性たちや、「女性の商品性」というテーマを書きつづけてきた鈴木涼美さん。最新エッセイ集『女の子未満』では、これまであまり描いてこなかった自身の少女時代を振り返り、新作小説『悪い血』では、妊娠や出産によって揺れ動く心情を率直に綴りました。
「女性であることを全力で引き受けてきた」と語る鈴木さん。その言葉の背景にある思いや、妊娠・出産を経て少しずつ変わった価値観、そして今も書きつづけたいテーマについて伺いました。
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書きたいテーマは「女性の商品性」
──これまで、いわゆる夜の世界で生きる女性たちに強く惹かれ、そのことが執筆の動機にもなっているとお話しされてきました。その関心に変化はありませんか?
変わらないですね。私の書いていることはすごく偏っていて、すべて「女性の商品性」とどうやって付き合っていくかという話なんです。そこをベースにもう一つ軸を増やすことはあっても、根本のテーマはそんなには変わらない。
基本的に私は男性よりもずっと女性に興味があって、男のことは男自身が考えろって思っている節があります。さらに自分自身がキャバクラで働いていたこともあるので、たとえば慎重で失敗が少ない子より、若い頃にうっかりホストにはまってしまったような子のほうに肩入れしてしまいますね。
──今もそうした女の子たちと接しながら、感覚をアップデートしているのでしょうか?
なるべくそうありたいとは思いつつ、若い時に比べれば夜の街で過ごす時間も短く、そもそも女性性が簡単にお金になる街で、本当の意味での当事者からはだいぶこぼれ落ちてしまったと思います。単純にキャバクラやホストクラブの文化もどんどん変わるし、流行なんて一年でがらっと変わる。法律も変わりましたしね。
たとえば今は推し活のような感覚でホストに貢ぐ子もいる、というようなことを言う記事があったとして、若い時だったら、私たちの感覚を大人が簡単に批評したりジャッジしたりしないでよ、と堂々と言えたし、そのへんの大人たちよりずっと現場の空気感をうまく言葉にできる自信があったけれど、今はそんな記事を読むと結構「へーそうなんだ」と思ってしまうこともあるくらいです。
ただ、本人が望む望まないにかかわらず女の子に値段をつけてくる社会は健在であるし、そんな中で女を売る商売をしている人も昔からずっといる。新しい文化や慣習は生まれるし、流行の買春形態は変わっても、そういう社会で生きることの味わいや享楽、虚しさや孤独はどこかにずっとあるのだと思います。だからそこにはこれからもずっと興味を持ちつづけると思います。
──「女性の商品性」という問題にここまで惹きつけられるのはなぜだと思いますか?
女性として生まれて、常に女性の商品化やモノ化の当事者であったという意識が大きいのだと思います。AVに出ていたということだけじゃなく、小さな頃から女の子は男の子より見た目で評価されますよね。女性は男性とは違う消費のされ方をしているというのをずっと考えていたので。いくら女性用風俗が流行っても、男性向け風俗とは売買されているものの本質やその場での支配構造が違うんじゃないかという視点で考えてしまいます。
私個人は、女性であることを拒絶しようとしたことはなくて、それどころか割とどの時代も商品的価値を持ってしまう性や身体を全力で引き受けてきた気がします。高校生の頃、ませていた友達に教えてもらって一緒に渋谷のブルセラに行って、100均で買ったパンツが1万円になるのを目の前で見て、その事実に引っかかりつつも、全力で染まっていった人間です。
単に浅はかで愚かといえばそうなのですが、少なくとも商品化されることに敏感だったし、同時にそれを引き受けている女性たちに惹かれる気持ちもありました。その分、女性が商品になってしまえる社会への懐疑的な視点は当初はあまり持っていなかった。自分の青春は愛しいものだけれども、自分の考えがいたらなかったことや間違っていることもたくさんあったと考えています。だからこそ、ずっと書いていきたいテーマなんでしょうね。
