魚が好きすぎて坂戸から築地まで自転車で通う父

安野 せっかくロンドンっぽくカッコよく決めてるのに、何で果物なんかぶら下げなきゃいけないんだろうと思ったけど、そのパフォーマンスが好評で。

近田 パンクってさ、世の中に対する反抗じゃない? だから、ロンドンのオリジナルをまるっきり摸倣しちゃったら、その精神とは矛盾するわけよ。パンクをおちょくるような表現として、パンクとは対極にある、平和この上ない果物という小道具を持ち込んでみたんじゃないかなと思う。

安野 いざやってみたら、私、そのセンスにピンときちゃったんですね。まったく性質の違うものをくっつけるって、こんな素敵なことなんだって。

近田 あれが初対面だったから、安野がどういう人なのかも全然知らなかったけど、あどけないこの子にはそういう悪ふざけのミスマッチが似合いそうだなと直感したんだよ。

安野 大変なカルチャーショックを受けました。それから、ハルヲフォンのライブにも足繫く通うようになり、人脈もそちらの方向に広がっていって……。

近田 そこから現在に至る物語は、後に回すことにして、まずはそれ以前にさかのぼり、安野の生い立ちからうかがいます。生まれはどこなの?

安野 埼玉の坂戸というところ。父親が、とても変わった人だったんです。

近田 どんな風に?

安野 農家の息子として生まれたんですけど、魚が好きだったんです。でも、埼玉は内陸部だから、当時はなかなか新鮮な魚が食べられない。じゃあ、自分が魚を扱えばいいということで、魚屋を始めたんです。

近田 理に適ってはいるよね。

安野 それで、はるばる築地の市場まで、魚を仕入れに自転車で通ってたんです。

近田 ええっ! 坂戸からじゃ、60キロ以上あるでしょ?

安野 そして、みんなに美味しい魚を食べてほしいという一心で、家の近所のみならず、大宮や川越まで行商して売り歩いてた。

近田 それはすごいね。

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