「『気が強いね』って言われるけれど…」(渡辺)
渡辺 自分がスカウトして、自分が育成に関わっていくタレントに対しては、すべての実情を共有してやっていこうと思ったんです。何でも話し合える関係性でいようと。その上で合意してもらったし、ちょっと我慢もしてもらいました。まあ、ぶつかることも多かったですけどね(笑)。
近田 ナベプロとして、経営そのものの方向性は修正したの?
渡辺 それまでのアーティストマネジメントは、渡辺プロも他の会社も、歌手の発掘育成がメインだったから、多額のお金がかかったんですよ。
近田 確かに。毎年、各プロダクションと各レコード会社が総力を挙げて新人歌手をデビューさせてヒットさせ、投資を回収するという構図があったよね。
渡辺 それに対し、映画やドラマの俳優、それからバラエティのタレントは、売り出す際に音楽ほどの投資を必要としない。
近田 歌手の場合は、ハイリスク・ハイリターンな部分が大きかったと。
渡辺 だから、少しずつ、音楽からその他の分野に比重を移していったんです。
近田 先見の明があったと思うよ。今、ミュージシャンはなかなか稼げないもん。俺が言うんだから、本当だよ(笑)。
渡辺 それから、タレントがCMに出演することによって大きな収益を上げるというビジネスモデルは、ずっと右肩上がりで隆盛を誇っていましたが、このスキームも、永遠に成長を続けるわけではないんじゃないかと疑問に思っているんです。
近田 いろいろ考えてるのね。
渡辺 しかし、父が亡くなってからの十数年、精神状態はギリギリでした。その頃はよく「気が強いね」って言われましたよ。私、もともと優しい子だったと思うんだけど。
近田 でも、DNA的に考えると、やっぱり強いんだと思うよ(笑)。たださ、ミキちゃんには、確かに強いところもあるけど、それ以上に、愛嬌があるんだよ。
渡辺 そうですか? ありがとうございます(笑)。
近田 その愛嬌が、上手くクッションの役割を果たしてると思うんだ。そこは、僕と知り合った当時から全然変わってない。
渡辺 すごくうれしいです。
近田 2000年には、ミキちゃんは子会社としてワタナベエンターテインメントを設立し、渡辺プロダクションからマネジメント部分を分社化。自らその社長に就任することになるよね。
渡辺 そこに至る苦しい時代に、ずっと事務所を辞めずについてきてくれたのが、父の生前は非採算部門だったお笑いセクションのタレントたちでした。ホンジャマカの石塚(英彦)君と恵俊彰君、中山秀征君、それから、アイドルとしては芽が出なかった松本明子ちゃん……。
近田 今やみんな、ナベプロの屋台骨を支える盤石な存在になってるよね。
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- 文=下井草 秀
写真=平松市聖 - keyword










