多忙な両親と、タレント、社員も寝泊まりする上大崎の自宅
近田 ここから話を遡るけど、ミキちゃんってさ、どんな子ども時代を過ごしたわけ? 両親ともに、めちゃくちゃ忙しかったでしょう。
渡辺 ええ、だから、もっぱら私の面倒を見ていたのは、父方の祖母でした。祖父が亡くなった後、祖母はそれまで住んでいた地元の福岡から上京して、上大崎にあった家で私の両親と同居を始めたんですが、その直後に、私が生まれたというわけです。そこには、私が9歳ぐらいになるまで暮らしてましたね。
近田 その家が、一つの原風景になったわけだ。
渡辺 基本的にはおばあちゃんの部屋で寝起きしてたんですが、時折、別の部屋の父と母の布団にもぐり込んで一緒に寝るのが幸せでした。あんまり触れ合う機会がなかったから。
近田 やっぱり、豪邸だったんでしょ?
渡辺 いえいえ、それほど大きくはなかったんですが、本当に不思議な家で、次から次へと離れを増築してたんですよ。ある離れには梓みちよちゃんや中尾ミエちゃんといった所属タレントが住んでいたり、他の離れには渡辺プロの社員が寝泊まりしてたりとか。ちなみに、ある程度大きくなってから私に与えられた子ども部屋には、それまでザ・ピーナッツが住んでいました。二人は、アパート暮らしをすることになって出て行ったんですよね。
近田 それは由緒正しい部屋だね(笑)。
渡辺 うちに住んでいたタレントの女の子たちは、いつもみんなパジャマ姿で過ごしてましたね。もう、公式ユニフォームがパジャマって感じだった(笑)。
近田 なかなか微笑ましい話だな。
渡辺 祖母と私の部屋は母屋の2階にあったんですが、おばあちゃんには、夜の8時を過ぎたら1階に下りちゃいけないと厳命されてました。
近田 それはまた何で?
渡辺 1階には応接室があって、まるでオフィスみたいに、渡辺プロのマネージャーたちが通い詰めてましたから。井澤健さんや池田道彦さんといった、後に独立して大社長となる敏腕マネージャーをよく見かけましたね。
近田 井澤健さんはザ・ドリフターズを擁するイザワオフィスを、池田道彦さんは演劇やミュージカルの制作を手がけるアトリエ・ダンカンを創設し、成功を収めた芸能界の大立者だよね。
渡辺 それ以外にも、放送局やレコード会社など、いろんな職種のスタッフさんが絶えず出入りしてたんですよ。
近田 そこに、夜だというのに子どもが出ていくのは具合が悪いわけだ。
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- 文=下井草 秀
写真=平松市聖 - keyword










