映像ならではの表現を追求

——舞台を映画化するうえで工夫された点は?

 舞台は観客の想像力が支えてくれますが、映像はそのままでは伝わらないことが多いんです。

 たとえば六条御息所が生霊となって現れる場面。舞台ではスポットライトが当たっていても観客が想像で見てくれますが、映像ではただ明るいだけに見えてしまう。

 そこで、別撮りや合成を用い、生き霊をモノクロのようににするという映像ならではの表現を工夫しました。

 また、舞台転換は劇場という空間で観ているときは楽しめるのですが、映像では「ただ物が動いているだけ」に見えないよう、見せる時間や角度にも細心の注意を払いました。

——衣裳「朽木牡丹」について教えてください。

 平安時代の衣裳には資料が少なく、具体的なデザインは想像で作るしかありません。装束の専門の方と相談する中で、「牡丹」は源氏物語と切り離せない文様だという話になり、六条御息所には「朽木牡丹」を選びました。

 この文様はこれまでの演目にはなく、今回のために新調したものです。朽ちゆく牡丹は、六条御息所の内面と重なり、物語の象徴となると考えています。これは余談ですが、実は衣裳はもう一着用意したのですが、光源氏とどちらが似合うか考えて作ったので、その一着はお蔵入りとなりました。

 平安時代には襲の色でその人の知性を見たそうなので、それも意識して選んでいます。

——舞台と映画、どちらでも演者の表情を確認する機会があったと思います。編集して何か発見はありましたか?

 舞台では自分の表情が見えませんが、映画では細かい表情まで映ります。編集をしながら「あ、この表情が伝わる」と気づくことも多かったですね。

 染五郎さんの表情も舞台で演じているときはわかりませんでしたが、こんなにいい表情をしているのかと知って、それを選んでいます。

 お客様の客席からも見えない表情だと思いますから、舞台とはまったく異なる体験であることが、映像化の意義でもあります。

2025.09.26(金)
文=山下シオン
撮影=鈴木七絵(ポートレート)、岡本隆史(舞台写真)