今年は戦後80年。第二次世界大戦下、イギリスに住むキップス夫人は、一羽の傷ついた小さなスズメを玄関先で拾う。スズメのクラレンスとその生涯をともに過ごした12年間を夫人が綴った『ある小さなスズメの記録』は、1953年にイギリスで刊行されるやいなや、またたく間に版を重ね、各国でも翻訳されて世界的ベストセラーに。

 この本の何が、世界中の人々の心をとらえたのか? 日本での人気も根強く、過去数回違う翻訳者で出版されたが、2010年、梨木香歩さんによる新訳で文藝春秋より刊行された。今なお版を重ね続けている本書の魅力を、文庫解説者である小川洋子さんがご紹介します。

臆病で地味な鳥

 子どもの頃、私にとってスズメは残念な鳥だった。台風が来て、明日は学校が休みになるはず、と楽しみにしていたのに、朝、雨戸を開けるとスズメが鳴いている。こちらの気持を見透かし、愉快でならないとでもいうように屋根を飛び跳ねている。彼らのさえずりに急かされながら、いやいやランドセルを背負ったことが幾度かあった。

 どんなに鳥に無関心な人でも、最低限スズメくらいは知っている。稲刈りがすんだあとの田んぼに群れる、案山子(かかし)を恐がる臆病で地味な鳥。それがスズメだ。目の前にスズメがいたとしても、ほとんどそれは風景と同化し、誰からも顧みられない。色が綺麗なわけでも、可愛い飾りがあるわけでもない。

 そんなスズメにこれほど豊かな心があると、一体どうして信じられるだろうか。しかし間違いなく、寡婦のピアニスト、クレア・キップスがスズメの心を引き出した。また同時に彼女はクラレンスから、与えた以上のものを受け取った。種の垣根を越えた二つの心が、平等の立場で互いを支え合う軌跡が、タイトルのとおり本書には記録されている。

2025.07.20(日)
文=小川洋子