〈「一度告白を断ってしまったんですが…」5大会連続で五輪出場→元選手と結婚…ウエイトリフティング・三宅宏実(39)が明かす“プロポーズ秘話”〉から続く
女子ウエイトリフティングの日本記録保持者で、現在は指導者として活躍する三宅宏実さん(39)。中学3年生から競技を始め、現役選手生活は21年にも及ぶ。5大会連続での五輪出場、競技の先輩でありコーチを務めた父・義行さんとの関係、引退の決断について、話を聞いた。(全3回の2回目/続きを読む)

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ウエイトリフティングが教えてくれたこと
――147cmの小柄な体で200kg前後のバーベルを21年間も上げ続け、五輪に5大会出場。ロンドンでは銀、リオでは銅メダルを獲得しました。今、現役時代を振り返って思うことは?
三宅宏実さん(以下、三宅) この競技に出会えたからこそまともな人間になれたというか、マインドを鍛えてもらったなと思いますね。スランプの乗り越え方とか、限界を作らず挑戦する姿勢、あるいは自分の体の整え方や考え方……。今いる自分はすべて、ウエイトリフティングに教えてもらったような気がします。そして、この競技を通じて高い志を持った仲間、友人たちが全国にできたことが、私の大きな財産にもなっています。

競技を始めたころは泣き虫だったり、メンタルが弱くてすぐに落ち込んだりしていたんですけど、毎日バーベルを上げ続けるうちに、薄紙を一枚一枚重ねるように心も体も強くなったような気がします。
北京五輪で突きつけられた現実
――現役生活でターニングポイントになった試合はありますか。
三宅 2008年の北京五輪ですね。
五輪初出場は大学1年で出場した2004年のアテネでした。その時は9位だったのですが、「五輪はメダルを獲ってこそ」という認識を強くしました。北京ではメダルを期待され、私も「メダルを獲ります」と公言していたのに結果は4位。今までの自分では通用しないという現実を突きつけられました。変わらなければ、って。

――お父様の三宅義行さんは、メキシコ五輪で銅メダルを獲得した日本のウエイトリフティング界の第一人者です。宏実さんのコーチもされていましたね。
三宅 当時、私は父が作ってくれた練習メニューに対し文句ばかり言っていましたね。父は競技者としてどう成長していくべきか、長いスパンで考えてくれていたのですが、私はまず目の前の結果が欲しかった。
それに、つきっきりで練習を見てくれているのに私は怪我続きで思うような練習が出来なくて。そんな申し訳なさや、フラストレーションがたまって、ある日、沖縄に家出したんです。捜索願を出されては困るので、父には置き手紙を残して。
2025.06.21(土)
文=吉井妙子
撮影=鈴木七絵