沖縄へ家出して痛感したことは……

――家出ですか!

三宅 このままではだめになってしまう、とにかく1人になりたいと思って。でも、ウイークリーマンションを借りて1人で練習してみると何もできなかった。毎日食事を作ってくれる母がどれほど私の体を考えてくれているか、父がどれだけ知恵と時間を使って私の練習メニューを作ってくれているか、身に染みて分かりました。

――なぜ、沖縄だったんですか?

三宅 沖縄には毎年家族で合宿に行っていたんです。だから、あそこなら1人で練習もできるなと。全日本の合宿の直前で、4~5日くらいで家に帰ったのですが、あの期間で自分を見つめ直せたような気がします。

父の「怒らない」指導法に反抗したことも

――義行さんの指導法はどのようなものだったんですか。

三宅 1に怒らない、2に褒めて伸ばす、3に見守る、4に選手に考える時間を与える、というものです。それが物足りなくて、父の言うことと反対のことをやってしまっていた時期もあるのですが、ものすごく遠回りしながらたどり着くのは、結局父が言っていたこと。その繰り返しでした。でも、自分で痛い思いをしながら遠回りして得るものはすごく大きい。父はそれを黙って見守ってくれていたんです。

 父には「自分で決めないと最後まで責任が持てない。練習メニューは作るけど、やるのはあなた。どうこなすかもあなた次第。だから考えてやりなさいよ」と、自分で考えることを常に求められていました。

 北京五輪以降は考えが変わりました。考えが変われば行動も変わり、行動が変われば結果も変わる……スポーツ界ではよく言われる言葉ですが、その通りだと思いますね。それがロンドン五輪の銀メダルに繋がったんだと思います。

――2011年の日本選手権では自己最高の207kgを樹立しました。

三宅 あの時は完璧にゾーンに入っていましたね。ゾーンに入ると重さを感じないんですよ。時間が止まったような感覚になり、今この筋肉を使っている、関節がどう動いているとか、はっきりわかるんです。時間にしたら1秒ぐらいの動作なのに、自分の動きがスローモーションになって、一つ一つの動作の判断が正確にできる。筋肉、関節すべてがシャフトと一体化したようになり、重さを感じなくなる。

2025.06.21(土)
文=吉井妙子
撮影=鈴木七絵