主人公のおせんは浅草の長屋に一人で住んで貸本屋を営む二十四歳の娘だ。父親は「後れ毛平治」の異名をとる腕のいい版板彫り職人だったが、おせんが十二歳のときに自死している。平治が彫っていた板が御公儀を愚弄した内容だという咎で罰せられ、その後、おせんの母親は若いツバメと駆け落ちし、平治は自暴自棄になり自らの命を絶ってしまった。この父親の死が、いろんな意味でおせんの人生を形作ることになる。

 幼い娘が一人で生きていくのは容易ではない。けれど長屋にはたくさんのおせっかい焼きの「おかあさんたち」が、町にはおせんの仕事を見守ってくれるたくさんの「おとうさんたち」がいる。彼らの温かい目と手がおせんを育ててくれたのだろう。この第一話には、そんなおせんの生い立ちや、貸本屋になったきっかけ、「本を貸す」ことの意味、そして何より貸本屋としてのおせんの矜持がつまっている。「本を貸すだけじゃない。守るんだよ」という言葉。これを読んで胸をわしづかみされない本好きはいないのではないだろうか。

あの「べらぼう蔦重」も登場⁉

 第二話からは、そんなおせんのもとに転がり込んでくる「事件」の謎解きと顛末がテンポよく描かれていく。

「板木どろぼう」はおせんを見守るおとうさんのひとり、地本問屋喜一郎の持つ板木が盗まれたところから始まる。しかもそれが今を時めく曲亭馬琴の作だというから大事件だ。ここで登場するのがべらぼう蔦重だ。いや、事件にはかかわりはないのだが、喜一郎が仲の悪い同業者の伊勢屋と相板(お金を出し合って合同で出版をすること)してまで馬琴の本を出そうとした理由が「にくにくしい蔦屋耕書堂」に打ち勝つための大勝負だったというわけだ。

 地本の草分け的老舗問屋で江戸一番の本屋にまで上り詰めた蔦屋耕書堂に喧嘩をふっかけようとしたのに、肝心の板木が盗まれたとあっては大恥だ。そこで江戸中の書肆に顔の出せる貸本屋であるおせんに白羽の矢が立ったのだ。おせんは足を使った聞き込み捜査を始めることとなる。このあたりから出版関係の専門用語がたくさん出てくる。今も使われている言葉もたくさんあり、いちいち感心してしまうのだが、本書の正しい読み方としてはいろいろ出てくる知らない言葉を一読目はスルーしてひたすらおせんの謎解きに浸るのがいいだろう。

 そして読み終わった後、二読目三読目で思う存分辞書を引いたり検索したりして出版豆知識を増やしていっていただきたい。というのも、『貸本屋おせん』の魅力の一つに「テンポの良さ」というのがある。物語の展開も、登場人物たちの会話も、とにかく心地よいテンポで流れていくのだ。まずはその流れを遮らず波に身を任せて最後まで読み終えて下さいまし。

 さてさて板木どろぼうはどうなったのでしょう。誰が何のために盗んだか。おせんの幼馴染み青菜売りの登の大活躍で明らかになったその理由と結末に、なるほどこれは「人情」捕物帖だわと納得する。そして転んでもただでは起きない江戸商人のしたたかさに思わずニヤリとするだろう。

2025.05.27(火)
文=久田かおり