アッ、うまいことやりよった! クソッ、そうきたか! エエッ、これはないだろう!

 日曜の宵、我が家は物情騒然、それというのもNHK大河ドラマ「べらぼう」を毎週欠かさず観ているから。呆れた妻は第2回から別室へ移り、ネット配信でこの番組をみるようになった。第3回からは愛猫までもが姿をくらました。

 それでも私はテレビに向かって雄叫びをあげるのを止めない。

 何しろ私は蔦屋重三郎の生涯を小説、選書、夕刊紙連載さらにその単行本化と、のべ4回も手を替え、品を替えて描いてきた。

 書店に並ぶ同工異曲の本はすべて商売敵の心構えでいる。ましてや、大河ドラマに至っては「相手に不足なし」、ついファイティングポーズをとってしまう。

「ありがた山の鳶がらす」はもしかしてフライング?

 そんな私だが、感心してしまったのは蔦重をはじめ皆の放つ「地口」だった。これが格好のスパイスになっている。

 地口というのは江戸ならではの洒落言葉、古典落語でしばしば耳にするが、江戸時代どころか昭和の下町でもけっこう使われていた。

「ありがた山の寒がらす」
「そう、うまくは烏賊(いか)の嘴(くちばし)」――これらは初回放送の蔦重のせりふ。
「呆れがとんぼ返りで礼に来る」は平賀源内が2回目で披露。
「それだけは、いうておくれな小夜嵐(さよあらし)」を口にしたのは3回目の駿河屋次郎兵衛。

 とはいえ、蔦重が2回目で「ありがた山の鳶(とんび)がらす」と口走っていたのはちょっと気になった。

 この地口の初出はおそらく恋川春町の黄表紙『金々先生栄花夢』。となれば『金々先生栄花夢』の開板は安永4(1775)年、蔦重が吉原細見『細見嗚呼御江戸』と関わる第2回は安永3年の話だから、明らかなフライング……。

 でも、春町が書く以前から有名な地口だったという解釈なのかもしれない。

 春町という文と画をこなす才人は、いずれ重要人物として登場してくる。彼は黄表紙つまり江戸のコミック本あるいはライトノベルの元祖で一大ブームを巻き起こした。そのうち春町と黄表紙つながりで朋誠堂喜三二や山東京伝こと北尾政演ら時代を彩る文人たちが「べらぼう」を賑わせるはず。

 春町を黄表紙に起用した大手板元は鱗形屋孫兵衛。この本屋、蔦重を吉原細見の販売や改所(編集プロダクション)として便利づかいするだけでなく、蔦重が築いた吉原の販売テリトリーも手にしようと奸計をめぐらせている。

2025.02.05(水)
文=増田晶文