蔦屋重三郎は「風流も文才もない」が「諸才子に愛された」人?

 肝心の主人公・蔦重の一生は判然としていない部分が多い。

 まず、彼の出生から少年期はわからないことだらけ。形がみえてくるのは20歳を過ぎ、貸本屋になる頃からだ。

 蔦重は数え48歳で逝き、死後に建立された墓碣銘に略歴が刻まれた。もうひとつ、蔦重の母の顕彰文にも少しだけ人となりが記されており、いずれも「ポジティブでアイディア豊富」「太っ腹」とか「律儀」などと讃えられている。

 しかし前者は狂歌師の宿屋飯盛こと石川雅望(まさもち)、後者が南畝という蔦重と極めて親密な関係にあった人物が筆をとっている。彼らが故人の悪口を書くわけはないから、文言を鵜呑みにはできない。

 あとは曲亭馬琴の『近世物之本江戸作者部類』などの蔦重評が参考になるくらい。馬琴は蔦重について「風流も文才もない」と手厳しい。ただ、「諸才子に愛された」キャラで「出した本はトレンドにマッチし」「江戸でトップを争う本屋になった」と証言してくれている。

「豪胆な性格」「一代で大成功をおさめた」さらに「吉原で身を持ち崩すのが定番だけど、蔦重だけは吉原から立身出世してみせた」とも――。蔦重が稀代のビジネスマンだったことは間違いない。

 それでも、蔦重が大河ドラマの主人公と発表された時、知名度の低さ、武将や英傑でない点を憂慮する声は少なくなかった。確かに、その意味では「大河ドラマ向き」とはいえないだろう。だが、蔦重は前述した面々や喜多川歌麿、東洲斎写楽、十返舎一九らスター文化人たちを陰で支えた張本人。

 蔦重がいなければ化政文化のドアは開かなかった。

 大河ドラマが市井の人、しかも商売人を取り上げる例は珍しい。

 過去には「黄金の日日」で海外飛躍した堺商人の呂宋助左衛門、日本に資本主義をもたらした「青天を衝け」の渋沢栄一がいたけれど、蔦重とはポジショニングが異なる。

 蔦重は大所高所からものをいわず、あくまで庶民レベルの視線を崩さなかった。ポップカルチャーだった戯作や浮世絵で世間を賑わせ、出版統制や綱紀粛正を強いる御上に対しては反骨ぶりを発揮、徹底的に揶揄したところに妙味がある。

 おまけに、蔦重が世に問うた戯作は時代改変、人物のキャラ変なんぞお手の物。

 寛政の改革をおちょくってキツいお咎めを喰らった『文武二道万石通』(喜三二)、『鸚鵡返文武二道』(春町)、『天下一面鏡梅鉢』(唐来参和)の三部作はその代表作、時代設定から登場人物までやりたい放題だ。松平定信や11代将軍家斉(いえなり)、田沼に当て擦って源頼朝に醍醐天皇、菅原道真、源義経たちが入り乱れる。

 蔦重が「べらぼう」のことを知ったら、きっとこういうはずだ。

「令和に私のドラマとは、ありがた山の、かたじけ茄子(なすび)。どうぞお好きにつくってください。おもしろけりゃ極上々吉。大当たりのコンコンチキを期待しております」

2025.02.05(水)
文=増田晶文