それは経済成長かもしれないし、テクノロジーかもしれない。AIかもしれないし、暗号資産かもしれない。少なくとも、そうした問題について語ることが文化的エリートの役割だ。

 もしあなたが10年前に戻って、AGI(汎用人工知能)の可能性は現実的になり、ビットコインの時価総額が300兆円を超えて、mRNA技術によって人類がガンに勝利する可能性が出てきたと語ったら、多くの人から不思議そうに首を傾げられただろう。

 ところが10年前どころか、現在の共同幻想においてすら、こうした話題はほとんど登場しない。AIは脅威と捉えられ、ビットコインは得体のしれない詐欺とみなされ、ガンや肥満を真剣に倒せると思っている人は、ほとんどいない。もちろん、その未来を大真面目に考えている科学者や起業家、エンジニアは多数存在する。しかし、彼らの声は明らかに過小評価されている。これは日本やアメリカだけでなく、多くの先進国に共通する光景だ。

 そうした中で、時に常識に反して、時に不快で、しかし時に重要な議論を積極的に提起する変わり者がいる。彼らはカウンターエリートと呼ばれる、新たな政治的、社会的、あるいは文化的エリートだ。

 第1章で詳しく述べるが、カウンターエリートの定義は以下の三点に集約される。


(1)カウンターエリートは、学歴や社会的地位、富の保有のみで定義されない。

(2)カウンターエリートは、現行システムへの問題意識を共有している。特に政府や官僚機構、メディア、学術界などを「既得権益化したエリート」とみなし、攻撃する。

(3)カウンターエリートは、右派あるいは保守思想と親和性が高いこともあるが、リベラル・保守といった政治的イデオロギーと無関係なことも多い。

 このカウンターエリートは、戦後から現在まで続いている「リベラルな秩序」の叛逆者として登場した。「リベラルな秩序」とは、わたしたちが暮らす社会を支える民主主義や資本主義を前提とする広範な社会契約であり、様々な知や制度への信頼だ(たとえばマスコミや官僚、大学への信頼など)。彼らはYouTubeやポッドキャストなどのソーシャルメディアを活用して、新たなナラティブを撒き散らしている。ソーシャルメディアはいまやマスメディアと言って良いほどの規模と影響力を有しており、彼らはその強烈なキャラクターによって、大衆の説得を成功させつつある。

2025.05.14(水)