テレビや新聞が重要だと訴えている「政治」や「社会」のニュースは、自分たちの感覚とはかけ離れている。
端的に言えば、メディアが「これが今の社会にとって重要なアジェンダだ」と掲げるトピックは、まるで遠い国の無関係な出来事のように、現実味のないものだ。
にもかかわらず、この社会には、正面切ってこうした議論を提起する人はほとんどいない。誰もが「王様は裸だ」と気付いているものの、誰もそれを指摘できない状況だ。
その意味で、わたしたちは一つの共同幻想を信仰している。
テレビのニュース番組で、キャスターが「国会がスタートしました、私たちの暮らしにとって重要なことが決まっていきます」と言っても、実際には多くの人が真剣に受け止めていない。リアルな世界は、ソーシャルメディアやネットフリックス(Netflix)の中に存在しており、そこでの物語こそが重要だ。
こうした主張は極端に思われるかもしれないが、少なくとも多くの「知識人」が重要視する問題と、ソーシャルメディアのクリエイターが注目する問題には、大きな乖離がある。既存のエリートが問題を解決できるとは誰も考えていないが、誰もが見て見ぬふりをしながら、毎日を過ごしている。
文化的エリートの死
政治や経済、社会をめぐって、この社会は旧来のエリートが設定した「ほとんど重要ではない問題」ばかりに目を向けている。皆がそのことに薄っすらと気付いているにもかかわらず、誰もが「王様は裸だ」と叫ぶことを躊躇っている。
なぜなら旧来の文化的エリートが、もはや自らの役割を放棄しているからだ。彼らは、これまでの商慣習やコンテンツづくりのルール、仕来りに囚われて、共同幻想を再生産することだけに集中している。
しかし、その幻想は少しずつ崩壊しつつある。
2025年、FacebookやInstagramを運営するメタ(Meta)のマーク・ザッカーバーグCEOは、既存のエリートが死にゆく様子を率直に語り始めた。
2025.05.14(水)