ザッカーバーグは、ジャーナリストやニュースキャスターなど従来の文化的エリートが、ソーシャルメディアのユーザーなどの「新しいタイプの文化的エリート」に置き換わるべきだと指摘した。
おそらく、ザッカーバーグの予言は的を射ている。
2024年、日本でもオールドメディアとソーシャルメディアをめぐる議論が盛り上がったが、そこで起こっていたことは、文化的エリートの緩慢な死を示唆していた。
同年の夏頃、筆者がテレビ局のある若手社員に、「オールドメディアとソーシャルメディアの議論は、決定的に潮目が変わりそうだ」と話したところ、ポカンとした反応を受けた。まるで「オールドメディア」という呼称を初めて聞いたような様子だった。
当時はまだ、オールドメディア対ソーシャルメディアという二項対立が一般的ではなかったため、こうした話題を知らなくても不思議ではない。しかし、将来を有望視されている若手社員が、こうした社会の動きを敏感にキャッチアップしていないことは驚きであった。
また、ある不祥事をめぐってテレビ局が強い批判に晒された際、出演者の待遇やケアについて議論が巻き起こった。こうした話題について、ある中堅社員が「でも、テレビに出演して、名前が売れるなら良いんじゃないですかね」と口走った。この社員に悪意はなく、本当に不思議そうな語り口だった。
ここで言いたいことは、メディアやテレビ局への批判ではない。むしろ、その中にいる文化的エリートが、いかにエリートでなくなり、社会と断絶しているかという純粋な驚きだ。
かつてテレビ局は、最先端のトレンドや議論、カルチャーの主要な発信源の一つであり、その関係者は、知的・文化的エリートとみなされてきた。しかし、その認識は過去のものであり、もはや「新しいタイプの文化的エリート」に置き換わることは不可避のようだ。
新しいタイプの政治的・文化的エリート
では「新しいタイプの文化的エリート」が目を向ける、本当に重要なこととは、なんだろうか。
2025.05.14(水)