この記事の連載
- 入浴は、善か悪か? 清潔不潔の人間史【ヨーロッパ篇】
- 入浴は、善か悪か? 清潔不潔の人間史【日本篇】
「入浴は邪悪なこと」「心が綺麗なら体が汚くても……」の教え
キリスト教は、裸になるのも湯に浸かるのも情欲につながるとみなし、公衆浴場を不道徳で不健全な場所として排斥する一方で、「体が不潔であるほどに魂は清らかで高潔となる」と説いた。入浴は虚栄心や俗心を示す邪悪な行為と。
中世初期のキリスト教徒たちは聖人の不潔さこそ「敬神の印」とし、全身どこも洗わず、着替えさえしないことを苦行と考えたため、とてつもなく不潔だったと言う。
また一般市民も、悪いものは入浴時に毛穴から入ってくると信じ、信仰の深さと不潔さが結びつけられていく。ペスト蔓延も「水が媒介になる」との狂気のデマから水を恐れ、さらに入浴は悪の温床になる。
結果、揺るぎない不潔の時代が始まり、途中、“十字軍の影響による入浴復活”など様々な変化はありながらも、結局19世紀までろくろく入浴しない歴史が続くのだ。
2024.11.18(月)
文=齋藤 薫(美容ジャーナリスト)