五 大須賀アツシ
『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』は二〇一〇年に公開された。それ以来バンクシーは、ストリートアートのみならず現代美術も含めたヴィジュアル文化全般で、もっとも話題を提供してきたアーティストのひとりである。そして本稿がここまで『イッツ・ダ・ボム』について読み解いたことは、いくつかのアレンジやスピンオフを含みつつも、基本的には『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』が仕掛けたゲームの射程から逸脱してはいない。しかし、おもな登場人物のなかでも特殊な存在である大須賀アツシが、唯一そのルートを開拓している。
大須賀は、本書の著者である井上本人のポートレイトに思える。雑誌メインのライターである現状に飽きたりず、ブラックロータスを取材して単著を出版し、成り上がろうと奔走するその姿は、単著のデビューを控えた注目の新人小説家である井上のそれとオーバーラップする。映画や小説に限らず、物語表現において主人公が、著者の「声」を代弁することは珍しくない。そしてそれは、井上にとどまらず、令和の日本を生きる若者の「声」ではないか。よい大学を卒業して大手企業に勤めれば、終身雇用で最後まで安泰という人生モデルが成立しなくなって久しい。既存のレールに頼らず、みずからの力で人生を切り拓かないと未来がない。そうした危機感が、時代の当事者である若者に浸透しているなら、成り上がることへの希求はその共通する声である。
ブラックロータスは、新しい時代の空気を察知した。しかし、大須賀がブラックロータスに見出すのは、察知のセンスより当事者性のリアルである。自身とブラックロータスの当事者性を重ねながら、大須賀自身の言葉がそれを第一部の終盤ではっきりと語っている。その当事者性において、成り上がることへの希求は、他者の文化であるストリートアートを利用することへの割り切りに転じる。その源泉は、大衆を利用したブラックロータス、さらには無許可でストリートに名前を刻むライターの生き様に求められる。みずからの声を社会に突きつけるため、ライターは割り切って社会のルールに背いている。であれば、その割り切りの矛先が自分たちに向いても、文句は言えない。こうして大須賀は、ブラックロータスを経由してライターの割り切りをみずからに転移し、内面化することで、自身の成り上がることへの希求を肯定する。そして、ストリートアートを利用した小説である第二部を「かく」のである。
2024.10.04(金)
文=大山エンリコイサム