言わずもがなではあるが、主人公のマコトは東京・池袋で実家が営む果物店の店番をしつつ、トラブルシューター(本人いわく「この街専用のなんでも屋」)として活動している青年だ。事務所で安楽椅子に座るのではなく、自らの足で街を動き回ってたくさんの人と喋り、傷だらけになりながら事件解決に奔走する。物語はマコトの語りによって進む形式が採用されており、一人称は「おれ」。時おり「あんた」と語りかけ、作品世界と読者が生きる現実とは地続きであること、ここに記されているのは「おれたち」の物語であることを突きつけてくる。

 マコトはストリート・ファッション誌で「ストリート」の今を綴るコラム連載を抱えるライターでもある、という点は重要だ。このハードボイルド探偵の何よりの武器は、ペン(言葉)なのだ。とはいえ、事件を解決するためには言葉だけでは足りないこともある。警察組織に頼る場合もあるが、超法規的な措置をとる方が手っ取り早いし、そうせざるを得ない状況が次々に噴出する。そこでマコトは池袋を根城とするアウトロー集団「Gボーイズ」、その王である盟友・タカシに連絡を取る。頭脳派のマコトと武闘派のタカシの共闘が、各話のクライマックスをなすことが多い。

 どの巻でも基本的に春夏秋冬の一年間が、全四話の連作短編形式で描かれていく。そして一話ごとに、社会問題──「おれたち」の社会に潜む問題──を背負った依頼人が登場する。「どの巻から読んでも大丈夫」であると記した理由の一つは、著者が連載時にその都度選び取った社会問題が全く古びていない点にある。このことは、次のように言い換えることができる。著者が選び取った社会問題は、今も解決していない。今なおこの社会に存在する問題だからこそ、古びないのは当然なのだ。

 また、本シリーズは、バブル崩壊後のいわゆる「失われた十年」と呼ばれる時期にスタートした(第一巻収録の第一話は、一九九七年度オール讀物推理小説新人賞受賞作)。よく知られている通り、日本経済は今や「失われた三十年」と呼ばれ、数字はさらに更新中だ。どの巻をめくっても、そこには不況や不景気の風景があり、いつの時代も若者たちは、大人たちが作りあげた社会にとりあえず身を委ねていくほかない。彼らが抱くこの社会に暮らしているだけで生じるその鬱々とした気分はよく知っている、彼らの感情は自分も経験した(している)という頷きが、今と昔の垣根を壊す普遍性を獲得している。本シリーズは、時代を真空パックのように閉じ込めているという印象があったが、むしろ時代を超えた普遍性をより強く感じたのが、今回全巻を読み返してみて得た発見だった。

2024.09.19(木)
文=吉田 大助(書評家・ライター)