非常に洗練された構築的なブランディング

山口 ユーザーの熱さがつかめるチャートは、楽曲への興味を喚起するので、とても大切だと思います。「炎と森のカーニバル」もたくさんのユーザーが、熱く語っている様子が見て取れます。

伊藤 ですよね。やっぱりセカオワは、巧みにユーザーの興味を引き出している。でも、楽曲だけを見てみると、なんだかフェスの思い出を綴った曲って感じ、歌詞の内容はフェスの風景と短いストーリー。フェスの断片的なイメージを寄せ集めて、ただ繋ぎ合わせただけ。もちろんメロディーや表現力に魅力を感じるんだけど、心の底からわき出てきたような声は聴こえてこない。「この恋は秘密にしておくんだよ さもなければこの子の命が危ないと」という部分は印象的なんだけど、ここにはバンドの“闇”だけが見え隠れしている印象。

山口 なるほど。「闇」ですか。若者から熱狂的に支持されている核のような気がします。それを「闇」と感じるのは、オジサンの証拠ですよ(笑)。スターダムにのし上がるバンドは、**教的な信者を産み出すものですが、SEKAI NO OWARI にも同様のものすごい吸引力を感じます。ファンにとっては、「闇」では無く、「救済」が見えているのではないでしょうか?

伊藤 救済ですか? う~ん、もっとファッションなもののような気がしますが。バンドの存在そのものがシンボルで、楽曲は1つのツールになっている印象。最近の成功しているアーティストやアイドルはそういうことが意図的にできているように感じます。とても洗練されていて構築的なブランディングをしているように思います。

山口 お恥ずかしいことに、タイミングが悪くて、ライブをまだ観たことがないのです。業界内では、ずいぶん前から噂になっていました。「自分たちで印刷工場を改造してライブハウスを作ってて、そこでしか観られない」とか、「演奏は上手くないけれどライブがすごく魅力的」だとか、断片的な情報が伝わってきて、興味をかき立てられました。

伊藤 彼らを取り上げた回の「情熱大陸」(TBS系)を観ましたが、テレビ的な演出が前に出てしまっていて、本当の彼らが見えていないように感じました。SEKAI NO OWARIとは、何者なのか、これからも見守りたいと思います。

4畳半の部屋でカーニバルを夢想する少年の姿が浮かぶ

山口 恒例の妄想分析はいかがですか?

伊藤 ライブもあったし、映像も色々あったし、アーティスト発信のものが沢山あるので難しいなぁ。ただ、この曲を聴いて想像したのは……。
 少年は4畳半の自分の部屋にいて、カーニバルなんかに行っていないし、カーニバルなんて存在しないことを良く知っている。ただ、想像のなかで自分をカーニバルに行かせて、それを誰かに話したいと思っている。どうせなら楽しいカーニバルの思い出を、と思って頭の中に絵を描く。薄暗い少年の部屋の壁に「ここから」と書かれたドアを描き、そのドアを開ける。そこは明るくて、家族・友達がいて、髪のサラサラな女の子がいて、みんなで他愛もない話をしながらカーニバルに向かう。ワクワクがある。少年は仰向けになり目を閉じたまま、そんな絵を頭の中に描く。頭の後ろで組んだ手の甲には、冷たい畳の筋を感じ、足元ではPCの中でファンが回る虚しい音がする。そんな現実を打ち消しながら、必死にカーニバルに向かう自分の歩みを進める。誰かに話すために。
 どうしてもこの曲を聴いて、実際にカーニバルがあったというイメージが出来ず、誰かの想像なんだという風に感じましたね。それがSEKAI NO OWARIの創造する世界で、みんなをそこに招待しているんじゃないですか。

山口 なるほど。バーチャルとリアルを行き来するというのは、彼らの世界観に近いかもしれませんね。

伊藤 ただし、今回は音源と歌詞をいただけなくて、ネットで拾ったものを資料にしているので、勘違いがあったらすいません。

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2014.03.25(火)
文=山口哲一、伊藤涼